明治の化學者

十月三日(木)晴
廣田鋼藏著『明治の化學者』讀了。明治の化學界における派閥抗争を掘り起こした勞作。朔日に書いた舎密派即ち實學重視の長井長義一派と理學派櫻井錠二派の、其れまでの「化學史」では触れられる事のなかつた、單なる化學會會長のポストを巡る暗闘を越えた、化學観、いや科學観の違ひによる抗争である。さうした明治から大正に掛けた、理化學研究所の設立を以てひとつの區切を為す化學界の状況を知ることによつて、京都帝國大學理工科大學純正化學科助教授甲斐荘楠香が、何故其の職を擲つて私費で歐州遊學しなければならなかつたかの背景を少しは理解出來るやうな氣がする。工業に応用の利かぬ純正化學の卒業生は中々民間企業への就職さへ難しかつたやうだ。其れは當時の日本の工業や産業が、世界のレベルに大きく後れをとつてゐたからに他ならない。歐米からの技術の移入で事足りてゐたのが、少なくとも第一次世界大戰勃発までの日本の工業界の實情だつたのである。