言葉遊び

二月十六日(木)寒し
余は実在の氏名や既存のものの名をもじつて架空の名を作つて新たな世界を作り上げるのが好きである。言葉遊びとかもじり、駄洒落、見立て、尽しといつた遊びである。其の中で自分でも悪くない出来だと思つてゐるのが「小鳥羽院」である。尤も此の面白さを理解するには少々教養が要る。ちなみに此の小鳥羽院の勅撰になる書が『珍古今馬鹿集』と云つて、古今東西の下らない話、馬鹿げた話を集めたものである。こちらの書名も実はかなり気に入つてゐる。特に声に出して読むと、題名からして馬鹿馬鹿しいので何とも可笑しみを感じるのである。自分で言ふのも何ではあるが。
さて問題の小鳥羽院であるが、新古今和歌集を編んだ後鳥羽上皇に通ずるのと同時に、下敷きには「小一条院」の存在がある。小一条院とは後一条天皇の皇太子だつた敦明親王のことで、父親は三条天皇だが、道長の策謀により三条帝の皇太子は一条天皇の子(後の後一条天皇)とされ、その代りに其の後一条天皇の皇太子とされた人である。つまり、父三条帝から自分への皇位継承の間に一代、前の天皇の子供を差し挟まれた格好である。ただし、後一条天皇は自分よりも十九歳も年下であり、しかも実父三条天皇が亡くなると、道長の圧力と自らの後見役の無さを自覚して、終には皇太子を辞退してしまふ。今で言ふ「空気を読んだ」為である。もともと天皇の器ではなかつたやうだが、辞退により道長を喜ばせ、其の後は却つて優遇され、准太上天皇として小一条院といふ尊号を与へられた訳である。後鳥羽とか後醍醐といふ風に「後」の字のつく天皇は在つても、流石に「小」を付けられた天皇は居ない訳だから、馬鹿にされたやうな名前だが、小九条院と並べてみると分かるが、それでゐて中々座りのいい名前なのが面白くて、その真似をして小鳥羽としたら、何と「ことば」ではないかと驚いたといふのが真相である。駄洒落や言葉遊びの本家として実に相応しい名前ではないか。
『珍古今馬鹿集』の編纂は小鳥羽院の他、藤原祢曳(ふじわらのねびき)、六畳借家(ろくじやうのかりいえ)、源乙友(みなもとのめるとも)、藤原家康(ふじわらのいえやす)が加はつてゐる。勿論それぞれ藤原定家六条有家源通具(みなもとのみちとも)、藤原家隆のもじりである。まあ、こんな風に遊んでゐるといふ訳である。もともと江戸の狂歌師の世界に憧れてゐるといふのもあつて、かういふおふざけが大好きなのである。

此の日淡島千景の訃報に接す。好きな女優であつた。またひとり、小津作品の花が散つた。さうしたら、寅さんのおばちやん役で知られる三崎千恵子もつい最近亡くなつてゐることを知る。昭和は遠くなりにけりの感強し。