趣味の系図作り

二月二十一日(火)晴
受験で日本史を勉強した人ならわかると思ふが、古代から近現代に至るまで藤原氏の一族を抜きに各時代の天皇や権力者の名前を覚えたり事件の背景を理解することはできない。血筋や家系、門流や天皇家或は藤原家との親疎は、日本史上の人物を知る上でまず知らねばならないことのひとつであらう。余は浪人時代に古文と日本史の勉強の助けとして、自ら天皇家藤原氏系図を作り始め、天皇家よりも寧ろ藤原家について大学入学後も何かにつけ調べては加筆を続けてゐる。尊卑分脈を見れば個々の家系は分かるが、もつと幅広い姻戚関係や意外な血のつながりを一望のもとに窺ふためには、手書きで細かく書き込んだ家系図が必要である。次第に日本史を深く知るための手段から、系図作りそのものが目的にはなつたものの、歴史系の本で新たな知見を得る度断続的に書き加へて来た。主要な人物は太字で大きく書き、世代間の幅も多めに開けるものの、大物に限つて婚姻関係は複雑だからあつといふ間にその隙間が埋まり、派生した子孫など0.25ミリの極細ペンで書き込むこととなり、其の名前はルーペで拡大しないと最早読めない程である。
一番面白いのは勿論道長を中心とした上下三・四代であるが、北家の支流でそれなりの門地を得た家流が現代まで続くのを確かめ得たり、偶々読んだ本で見知つた式家や京家の末裔で地方官僚となつた者が、余の系図上の本家の血筋とつながつたりするのも楽しいものである。
ところで、現在「藤原」姓を名乗つてゐる人々といふのは、藤原家の血筋を引く可能性は高いにしても、主流からは月ほど離れてゐると言つても過言ではあるまい。北家から出た血筋は五摂家を始め藤原と名乗ることはないからである。藤原定家の子孫が冷泉家と名乗つてゐるやうに、寧ろ醍醐とか今小路、飛鳥井、中山などといふ姓の方が藤原氏主流に近い苗字である可能性が高い。五摂家清華家大臣家辺りまでの主流から枝分かれの時代が下がれば下がる程、皇室の血を引く可能性も高いといふことにもなるが、ご存じの通り江戸期になると藤原氏武家大名との姻戚関係も密になるので、中々複雑ではある。ましてや明治以降は、公家も大名も華族の名の元に通婚も頻繁になるが、それでも当然家格や過去の因縁縁故に因るのか、よく婚姻関係を結ぶ家同士といふものはあるやうで、近衛家と細川家、それに津軽家などは割に親しい間柄にあつたやうだ。其の辺に余が如道忌で吹く松風の曲に纏はる伝承の背景があるのであるが、其れについては又の機会に細説することにしたい。