文麿の評価

五月二十四日(木)晴
昨夜遅くN子帰る。食器を買ひ揃へたらしく大変な荷物であつた。余は越南には行つたことがないが、N子は好きでよく行つてゐたらしい。
此の日西園寺公望の『陶庵随筆』読了。近衞文麿の政治的な師匠のやうな存在で、維新を潜り抜けた所謂元老のひとりだが、他の元老に比べると垢抜けた印象がある。盆栽を好み興津の別荘で過ごす姿は元老や黒幕のイメージそのものである。公家としては近衛家よりは一段劣る清華家であり、公望自身は元は徳大寺家の出であるから、いずれにせよ北家閑院流道長の末裔ではなく、道長の父兼家の弟公季から出た血筋であるが、但し閑院流は皇族との姻戚関係も多く高貴さはかなりのものである。ちなみに同書の解説は細川護貞が書いてゐる。
続けて『近衞家七つの謎』といふ本を読み始め、今夜読了。文麿・文隆父子の周辺を追ひかけたノンフイクシオンで、言はば文隆の外濠を知るには丁度良い。ただし著者の工藤美代子といふ人にはちよつと不穏な言動があるので多少の警戒感をもつて読んだ。ノンフイクシオン作家だからといふ訳ではないだらうが、描写や会話の文章は性急で余り上手いとは言へない。また、夢顔の正体にしても西木正明の説を否定して別の説を立ててゐるが、それとて想像の域を出ないので謎は深まるばかりである。もつとも工藤による文麿の再評価については余も異論はない。もつと評価されていい人物だと思ふし、近衞の悪評を作り上げた戦後のマスコミや論壇じたいが、其の動機や経緯を含め研究の対象にすべきものであると思ふ。佐藤卓巳先生あたりに解明して貰ひたいものである。と同時に、もし文隆が生きて日本に帰り、総理大臣にでもなつてゐたら、今の日本はもう少し良い方向に進んでゐたのではないかとも思ふのである。余は右翼には與しないが、文隆を殺したソ連の非人道性や戦前から戦後まで一貫して日本で繰り広げた諜報活動や破壊活動、そして「左系知識人」による日本のミスリードを考へ合はせると、共産主義といふ二十世紀の癌に対する激しい吐き気を覚えずにはゐない。