輕自動車が怖い

五月二十五日(金)陰
街を歩いてゐて横断歩道を渡らうとしたり狹い道を抜けてゐる時、輕自動車が近づいて來ると余は思はず身構へる。怖いのである。例の祗園と亀山での痛ましい事故はともに輕自動車であつたし、実際目にする限り信号を無視して突つ込んだり、狹い一方通行をスピード超過で走り抜けて行くのも輕自動車が圧倒的に多い。車が小さいから、事故を起こしても大したことになるまいと高を括つてゐるものなのであらうか。輕自動車は年寄りや若いものが運転することの多いのも危険度を上げていやう。判断力が鈍くなつた上に反応が遅れ、ブレーキとアクセルを踏み間違へる暴走事故も多い。若い方も免許取り立てで乱暴な上、酒を飲み遊び呆けて睡眠不足で運転されてゐたらたまつたものではない。偏見ではあらうが、安い輕自動車に乘る人は収入も少なく精神が不安定な上に過労・多忙で睡眠不足が続き、酒も輕い気持ちで飲んで運転するから事故を起こすことが多くなるのではないか。同じことが、大きさで言へば輕自動車の対極にあるバスの運転士にも当て嵌まることは先日の事故でも明らかであらう。バスと輕自動車といふ大小の両極、極端なものが危険であるといふのは車に限らず現代の日本に特徴的な事態であるやうにも思はれる。中庸が肝心だとつくづく思ふのだが、某市長の如き常軌を逸した振舞ひに見られるやうに、極端な言動の方が耳目を集めやすく、デフオルメされた分かりやすい事象しか目に入らぬ衆愚の民は事の本筋を閑却して容易に煽動されてしまふのである。今ほど真当なものの捉へ方のできる賢者の登場が望まれる時はない。