先入主の強さ

七月三日(火)晴後雨
昼前地大いに揺れる。定時に稍遅れて退社。途上動かなくなつた腕時計を修理に出す。三週間掛るといふ。帰宅後尺八練習日課の如し。夕食後風見章著『近衞内閣』(中公文庫)讀了。此れは古本で買つたものだが、扉に元の所有者が走り書きしたものが残つてゐる。曰く「近衞公の優柔不断にはあきれるだけだ。使命感の欠如にはあきれるばかりだ」。呆れるのは此方である。此の本のどこをどう讀めばこんな表現が出て來るのであらう。確かに、世上の評判とか無責任な評価としては、文麿の優柔不断とはよく言はれることである。しかし、苟も此の書を讀めばさうした評価が間違ひであることは分かりさうなものではないか。余程偏見か先入観と倶に讀まない限り、文麿を優柔不断と切り捨てる事は出來ないのではないかと思ふ。マスコミや木戸・都留によつて捏造された文麿像が如何に根強いものかが、まるで本文を讀めてゐない、此の前所有者のメモ書きからも見てとる事が出來る。
近衞文麿に、幾つかの致命的な判断ミスや為政者として責を問はれても致し方のない失政や政治的妥協があつたのは事実である。しかし、其れは彼が優柔不断だつたからでは断じてなく、如何ともし難い状況にあつたからであり、敢て言ふならば、詰めが甘く粘り強さがなく、何が何でもやり抜かうといふ気概や根気、意思の力が欠けてゐたからである。五摂家筆頭の嫡男として、日本の将来に対する使命感は有り余る程持つてゐたが、ただ究極に於いて軍部の横暴の前に嫌気がさして投げ出した点で、責任感の欠如は非難されても仕方のない処ではあらう。もつとも其れも、近衞内閣発足時の文麿に対する国民の過剰な期待が、結果的に裏切られたことで憎さが増した面も否定できず、戦前には(いや現代に於いても尚)文麿以上に無責任無定見な首相など幾らでも居たな中で、何故に文麿だけが優柔不断だの無責任だのと批判されねばならないのか、余には正直理解し兼ねる所がある。本当に木戸幸一都留重人ハーバート・ノーマンによる文麿誹謗の陰謀が成功した結果なのか、それとも何か別の要因が働いてゐたのかどうか、此の先も研究書に当つてみたいと思ふ。もとより、余の藤原氏贔屓がものを見誤らせてゐる可能性もなしとはしないが、釈然としない気持ちがあるのは如何ともし難い。
藤原氏嫡流として生まれ育つた文麿への敬意と、悲劇に見舞はれた嫡男文隆への哀悼を余は隠すことが出來ない。