明治の娘

七月四日(水)晴後陰
朝、雨後の晴空なれば陽光峻烈にして極めて暑し。日傘にて陽を遮り直射の熱を防ぎつつ徒歩出勤。今のところ通勤途上にて余の他に男性で日傘をさしてゐるのを見かけたことはないが、もつと広まればいいと思ふ。明らかに暑さが軽減されるからである。このところ仕事多く忙し。昼休みは十五分で食事を済ませ、原稿用紙と万年筆と字引を持つて北側の評価室の窓辺に行き、其処で外の光を頼りに日乘を書く。机のある南側の居室の電燈は消され、かと言つて南面した窓辺は眩しいので北側が丁度良いのである。と言つても書くのは三十分弱の短い時間で、残りの十五分から二十分は椅子に座つたまま仮眠をとる。横になればもつと良いのだが、さういふ場所もない。
定時退社し、書いた原稿用紙をN子に渡し、六時半から尺八稽古。八時前データ化された日乘に多少加筆してアツプする。其の後夕食。函館で買つたほつけを食す。急ぎ着替へて八時半からジムに行く。リハビリ並の軽い重さでのウエイトトレーニングと三十分のクロスカントリーマシーンである。
帰宅後読書。今、犬養道子の『花々と星々と』を読んでゐる。之がまた大変に面白い。『お嬢さん放浪記』などの書名や名家の出といふことで今まで敬遠してゐたのだが、ところがどうして、文章は上手いし内容も面白い。此の本は少女時代の回想が中心で、曾父犬養毅はもちろん、岸田劉生武者小路実篤志賀直哉といつた有名人も登場するが、印象的なのは著者の母親仲子や曾母で後藤象二郎の娘でもある美貌の延子といつた女性たちの姿である。壮士や主義者を騙るごろつきが押しかけても怯む事無く追ひ返す仲子や、何一つ不自由のない生活から突然困窮のどん底に突き落とされても矜持と気品を失はなかつた延子についての記述は、白洲正子自伝や宇野千代の『生きて行く私』を読んだ時にも感じた、偉さうにしてゐる男たちの駄目さ加減と鮮やかな対照をなす、明治大正生まれの女性たちの強さとしなやかさを思ひ出させてくれ、極めて印象に残る。それにしても犬養道子の本はタイトルのまづさで随分損をしてゐるのではないか。『お嬢さん放浪記』や『私のヨーロッパ』などは海外で暮らすことなど夢の又夢であつた余の如き下々の者の反感を買ふだけだつたらうし、『花々と星々と』にしても『ある歴史の娘』にしても決して上手い書名ではない。もう少し読む気にさせるタイトルであればもつと読まれてゐたと思ふし、実際読むに価する素晴らしい文章だけに、少々残念である。