長い夢

四月六日(月)陰
會社のYと携帯電話で話してゐる。Yはフレーバーの營業で、事情や状況を考へないゴリ押し營業で皆から嫌はれてゐる男である。私はYの無理な依頼に對して怒り、部下を絶対派遣しない旨を傳へ目の前にゐるYを蹴りつける。それから社内の圖書館に行くと人が多くて活氣があるのに驚く。知つた顔も多く、誰もが少し時間があれば圖書館に顔を出すといふ雰囲氣である。私は人ごみを抜けて地上に出ようとするが、階段が怠いのでその先のエスカレーターに乘ると、途中で折り返して向きを變へて地上に出た。其処は驛の改札口で、ホームに出る以外の出口はない。京王八王子驛であることは分かつた。やがて京王線の新型車両がホームに滑り込んで來て中々恰好良いなと思ふ。それから私は自轉車に乘つて得意先のK社に向かふ。通用門のやうな處から構内に入ると、廣い構内には晝休みなのか暖かさに誘はれてもの凄い數の社員で溢れてゐる。高臺に景色を見下ろすテラスがあつて、其処から西洋風に作られた中國の城が見える。テラスのベンチに座つてゐる若い女性達は皆美しく、社内戀愛もこれなら盛んだらうと羨ましく思ふ。それから私は豪華なホテルのロビーを抜けて、やつと打合せ場所となる建物に辿り着く。ホールのやうな處で座席に同僚のSを見つけて聲を掛けるが、丸一日座つてゐるがまだ何も始まらないといふ。前の方の座席にはF1のチームクルーがレース時のいでたちに座つてゐて、じきに舞臺のスクリーンで上映が始まつた。アメリカのボデイシヨツプで働いてゐる及川奈央といふ女の子がやがて女性初のF1ドライバーになるまでのシンデレラストーリーである。成程それでクルーがゐるのだなと思ふ。私はストーリーが讀めてしまつたので其の場を中座して野球場に行く。シアトルである。チケツトに記された番號の席に行くと、隣の人と一緒にズズズと斜面を滑り落ちてグラウンドの中に入つてしまふ。丁度イチローがフアーストランナーに出てゐて、近くに見える。一度打者のフアウル打球が私の方に飛んで來て、其れを蹴り返したらインフイールドに入りさうになつて慌てた。其の時気付いたのは、フアウルグラウンドにゐるのは子供だけで、大人は私ひとりなので、これはまづいと思ひ席に戻るとライト方向に飛んだフライを後逸して3点入るところであつた。それを見届けてから私は球場を後にし、バスに乘る。道はトラックが物凄いスピードで走つてゐて、道の脇には除雪された雪が山のやうに積み重なつてゐる。其の上に富士山を角張らせたやうなマウント・レニエが馬鹿でかく見えてゐる。後ろから除雪器を備へた市電に追突されさうになりながら市街に出て私はバスを降りた。バルセロナの繁華街の四つ角であつた。通りの向かうに黒人のバンドマンが立つてゐて、見ると建物に"Pierre"といふ看板が出てゐる。これがあの有名なジャズの殿堂ピエールかと思ふ。それから私は歩いてバルセロナの日本人街に往く。日本語の看板を掲げた、本を讀んでくつろげるといふ喫茶店や家電量販店が並んでゐる。私は家具屋に入る。洋風の家具が並ぶが興味を引くものはない。幾つかフロアーを巡つて辿り着いたのは古い棚の前である。開けると中に二つ抽斗があり、ひとつにはナダルの寫眞集があつて私が嘗て集めてゐたものであることが分かる。中の箱を取り出して開けると、家内や私の出生証明書が出て來る。そして、19世紀のフランスの作曲家の貯金通帳が出て來た。中を見ると入金の記録があつて、私が嘗てこの貯金通帳を資料にして其の作曲家の評傳を書かうとしてゐたことを思ひ出した。貯金通帳の保証人には日本語で日本人の名前が綴られてゐたり、或る他の作曲家との共同作曲による大金の入金記録があるものの、商業的なその仕事を本人は嫌がつてゐたことなどを思ひ出した。改めて、貯金通帳からは様々な事が讀み取れるので貴重な資料になるなと思ひながら目を覚ました。