偶感

八月三十日(木)晴
歯を喰ひしばつて生きてゐる。生きるとは耐へることだと此の齢になつてやつと知る。歯を喰ひしばつて耐へる。怒らぬやう、怒気を含み棘のある言葉を発せぬやう、黙つて耐へる為には兎に角歯を喰ひしばらねばならぬ。何か氣に障ることを言はれれば、其れに對して相手をやり込めるやうな事を言はずには済まなかつたし、腹を立てればそれでなくとも攻撃的なもの言ひになるのが常であつた。さうした言動が言はれた方の相手をどれ程傷つけ、場合によつては深い恨みを成して後に此方が痛い目に遭ふこともあるといふことが、自分が黙つて聞くやうになつてみるとよく分かる。余計なことは言はぬやうにしやう、理不尽な腹立たしいことを言はれてもぐつと耐へて口を閉ざしていやうと心に決めた。怒りをことばにしてしまへば、其れはもう取り返しがつかない。歯を食ひしばつて黙つてゐることが肝心だ。怒りを顕にして後で悔いることはあつても、怒らずにゐたのを後悔することはないと知るべきである。怒りで自分が傷つけ不幸にしてしまつた人のことを忘れず、耐へ難い屈辱や無礼や理不尽や傲慢さもぐつと我慢するのだ。かうした思ひを強く抱き続けてゐるせゐだらうか、余は眠つてゐる間も歯を食ひしばり、屈辱に耐へ兼ねるのか下の前歯で下唇の内側を噛み締めてしまふらしい。朝になつて口腔内が痛み、歯の当る処が内出血してゐることもある。夜中に目覚めた際にも自分が唇を噛んでゐるのに気づくことも屡(しばしば)であつた。此れを避ける為に、余は最近小さなポケツト・タオルを口に銜(くわ)へてそれを噛みしめて眠るやうにしてゐる。かくして晝も夜も歯を食ひしばつて生きてゐる訳である。