六十七年前

八月十四日(火)雨後晴
豊下楢彦著『昭和天皇・マツカーサー会見』讀了。帯にある通り「從來の昭和天皇像を根底から覆す」力作である。『昭和天皇独白録』や『昭和天皇終戦史』を讀んだ後だけに、戦前・戦中・戦後を通じた昭和天皇の姿が、極めて明確に理解できたやうに思ふ。その姿や言動が、戦後形作られて來た架空の天皇像と如何にかけ離れたものであるかを思ふと、我々はあの戦争の成り行きを左右した要因も、戦後の憲法や安保成立の経緯や推進役についてもいまだにきちんと理解もしてゐないし、責任を含む清算も出來てゐないことがよく分かる。昭和天皇にとつて何よりも大切なことは、日本といふ國でも日本國民でも勿論なく、國體の維持すなはち天皇制そのものの存続だつた訳で、その為には東京裁判で自らの訴追は絶體に避けなければならず、さうであればこそ最も信頼を寄せてゐたはずの東條に全責任を背はせた上で、自分が立憲君主を演じてゐたことを汲々と弁明せねばならなかつたのである。そしてひと度訴追を免れた後は、天皇制を脅かす最大の脅威である共産主義勢力に対抗する為にアメリカ軍の駐留継続を望む余り、新憲法下においても著しく制限ないし禁じられてゐたはずの政治的行動を敢て為すことも辞さなかつた。本書は天皇のマツカーサー会見における発言の政治的意図とその実際の影響力や効果について、九〇年代以降一部ではあるが明らかになりつつある史料をもとに詳細な考察を進める。何より驚かされるのは、米軍の恒久的駐留を望む天皇が、吉田茂やマツカーサーが必ずしも其の意向に同調しないことを見てとるや、両者の頭越しにアメリカ政府高官に対して外交的な言動に出たといふことであらう。明らかに憲法下の天皇の役割を逸脱した行為であり、二重外交そのものである。その結果著しく不平等で、現在の日本の、アメリカの属國化といふ屈辱を決定づけた安保體制が確立される。しかし豊下は、天皇の、かうした政治的な影響力を行使すべく起こされた言動は戦後になつて突如起こつた異常事態なのではなく、二・二六事件にしても終戦の決議にしても、こと天皇制の存亡に関はる際には、昭和天皇は常に明治憲法をも無視してでも自らの意向を政治的に実現してをり、その姿勢は戦前も戦後も一貫してゐると見る。戦後の天皇は象徴であり、戦前も実権を持たぬ権威にすぎず、本人は戦争突入を好まぬ平和主義者であつたとする天皇観が完全な嘘つぱちであつたことが、これまでも数多く指摘されては來たが、吉田裕やこの豊下楢彦などの仕事によつて決定的なものになつたと言へやう。
共産主義勢力の脅威が当時どれ程のものであつたかは現代の我々には理解しやうがないものではあるが、戦後の日本が共産主義化されなかつたことについては、ソ連や東欧のその後の惨状を知つてゐる我々にとつては素直に喜ぶできことではあらう。それが、天皇制存続に對する危機感に突き動かされた天皇違憲的行動のおかげであるか否かはともかく、ただ其の代償として、拙速に押しつけられた憲法や属國化を意味する安保體制といふ多大なる負の遺産を背負はされてゐることだけは忘れないやうにしたい。そして米軍の駐留を誰よりも望んでゐたのは昭和天皇であり、天皇制を否定する可能性もあつた極東委員会の設置より前に、とにかく天皇制を抱へこんだ新憲法が成立することを最も待ち望んだのも他ならぬ昭和天皇であつたことも忘れてはなるまい。憲法改正を図り、再軍備を目指す輩とは天皇の意向に背く者であり、その意味でもはや右翼の名に値しないであらう。逆に言へば、第九条を含む現行日本国憲法を「護憲」すればする程、昭和天皇の意向に沿ふことになるといふことだ。さらに、A級戦犯を合祀した後の靖國神社に竟に参拝することのなかつた昭和天皇の意思をこそ、右翼を名乗る者は尊重すべきではあるまいか。天皇東京裁判そのものを受け入れて其の決定に從ひ、更にマツカーサーに對して公正かつ寛大なる裁判であつたことを感謝すらしてゐるのであるから、A級戦犯を合祀した靖國に参拝しないといふ行動自體には論理的な一貫性がある。其の昭和天皇のリアリステイツクな論理性と意向を理解することもなく靖國に参拝する閣僚ほど、歴史認識に於いて過誤の甚だしい存在はあるまい。参拝しないことこそが陛下の大御心に叶ふ行ひなのである。
 ことほど左様に、何もかもがねぢれ、右も左も其の奉ずる処の主義を貫徹しやうとすればするほど天皇制との関係において整合性を持ち得ずに躓かざるを得なかつたことが、戦後思想の混迷の根本原因だつたのかも知れぬ。憲法も戦争も、國民や主権や、國家すらも、天皇制の護持といふ絶對的な大前提の前では、いかやうにも変化し解釈し得るものであるらしい。明日の終戦記念日を前に、何とも虚無的な氣分にならずにはをられないが、それでも讀み終へた後の充実感は大きい。岩波現代文庫書き下しといふこともあつて余り知られてゐない氣がするし、一見ただの新史料解説の類と取られかねないタイトルは勿體ない氣もするが、書名から受ける印象より遥かに大きな衝撃を与へてくれる一冊であり、一讀をお薦めする。
 もつとも、同書の最後にも書かれてある通り、激動の歴史を生きた昭和天皇の功罪を知つた上であらためて今上明仁天皇の言動を見てみると、あたかも昭和天皇のさうした負の遺産を理解し、其れを背負つてゐるかのやうな、憲法を遵守し政治的言動と取られぬやう細心の注意と抑制の効いたものであることが分かり、尊敬の念が湧くのも事実である。昭和をもつときちんと理解することなくしては、この國に未來はない。