出羽三山

朝六時鶴岡駅前からバスに乗り羽黒山頂に至る。乗客は余の他に五名。此処で降りるのは余のみにて、他は其の儘月山八合目まで乗るやうである。七時前の清清しい空気の中人気のない境内を歩み、三神合祭殿に到り参拝。バスより途上に見た宮下坊などといつた建物には仏教系の雰囲気が残つてゐるが、出羽三山の三神を祀る此の出羽神社は、明治の廃仏毀釈の際に完全に神道式の神社になつてしまつたやうだ。修験道の痕跡は殆ど見当たらず、国宝の五重塔とも離れてゐるため仏教色は極めて薄い。鏡池末社、蜂子神社などを一巡してバス停に戻り、八時過ぎのバスで月山八合目に向ふ。

バスは狭くくねつた山道を走り、天候は悪くなり始め、風が強い。着いた処は霧の中で、風がもの凄い勢いで吹き続けてゐる。気温もかなり低く、一瞬躊躇するものの、とにかく歩き始める。周囲は湿地でもあり、もはや高い木はないから風は台風のやうな唸り声を上げて容赦なく吹きつけ、風を受ける左側の頬が冷たさに強ばるのがわかる。防寒の軍手はつけたものの、この冷たさを凌ぐ為リユツクからタオルを取り出して頬被りの格好で顔を包む。これで大分楽になる。反対方向からは結構人が来てすれ違ふ。月山頂上方面には何組か追い抜いたが逆方向よりは人が少ないやうであつた。降りてくる人たちは反対側から月山に登り降りてきたものだらう。道は途中まで湿原に渡した板の上を歩き、それからごつごつとした石の敷き詰められた山道になるが傾斜は急でないため楽に登れる。途中から腰のあたりまでの高さの笹の茂みの中に入り、風が笹に吸収されて少し楽になる。遠くは何も見えないから景色を楽しむこともなくひたすら歩くだけである。一時間ちよつと歩いたところに九合目の仏生池小屋があり、営業はしてゐないが、入り口の先までは入れてそこで休めるやうになつてゐる。風を避けて座れるのでほつと一息つく。先客がゐて、此処まで登つて来たが天候が悪いので引き返すと言ふ。余は完全な雨用の防寒具を付けキヤラメルを舐めてから出立し、一時間程で標高1,984米の山頂に到達。月山神社の神域は塀に囲まれてゐるせいもあるが頂に到つて俄かに風を感じなくなる。参拝してから少し下つたところにある山小屋の入り口に腰かけて持参のお握りを食べて昼食となす。


其れから湯殿神社に向けて降り始めると、すでに風はほとんど感じなくなつてゐたが、突然視界が開けて日の当たる大パノラマが目の前に拡がつた。尾根道もくつきりと見える緑の山脈の続く様と、その先の遥か向うに広がる下界の平野である。霧が突然濃くなつたり晴れたりする様子を茫然と眺め、カメラに収めた。何度も足を止めて景色に見とれながらもひたすら下り続ける。遍路の山の比ではない下りであるから当然余には苦手であり、膝が痛み始める。とにかく、これでもかと言ふばかりに下りの連続なのである。牛首と云ふ分れ道でリフトのある姥沢方面と分かれた後は、誰一人対向からの登山客に遭ふこともなく、抜きも抜かれもせずずつとひとりで下り続けるのである。もはや天候や寒さの心配はなく、むしろ下つてゐるのに登りより汗ばむ程であつたが、だうして誰も登つて来ないのか多少不安にはなつた。


途中から小川とも渓流とも言へさうな水の流れのほとりの道となつて、相変はらず石の置かれた細い山道を下つて行く。距離は月山頂上までの半分くらいなのに、下りの方が時間が掛かるやうでなかなか着かない。やつと施薬小屋と云ふ処に着いて後一キロくらいだと思つたのが、すでに二時近かつたはずである。其処を出て暫く行くと、有名な「月光坂」と云ふ、ほぼ直角に下る場所に出た。もちろん直角に降りられる訳もないから鉄製の梯子が掛けられてゐてそれを伝わつて降りて行くのである。一つの梯子が四・五メートルなのだが、それが幾つも幾つも続いてゐるのである。余は高所恐怖症と言ふ訳ではないが、それでも踏み外したらと思ふと怖さから慎重になつて、今までにも増して時間をかけやつと梯子の連続が終わつて普通の山道に戻った。ところがである。道が水浸し、と言ふより下る道が完全に渓流のように水の流れの道になつてゐるのである。ゴアテツクスの軽登山靴なので多少水に入つても平気とは言へ、やはり水の流れてゐない処を選んで歩くので普通の下り以上に捗らない。しかも濡れた石を踏んで行くので滑りやすい。恐々ゆつくりと進んでいても、気が緩むとすぐ転ぶ。三度、したたか転んでしまふ。其の痛みもあつて更に歩みが遅くなると云ふ悪循環である。しかし、これは登山道と言ふより本当に渓流なのではないか、途中で道を間違えたのではないかと思ひ始めた矢先、前方の遥か下にコンクリートの護岸が施された、ダムのような滝が目に入ってきた。道だと思つて降りてきたのが単に滝に集まる水の流れのひとつに過ぎなかつたとすると、流石に滝は下れないだらうから引き返すより他はない。かなりの距離下つてゐるし、山の午後は次第に夕暮れに近づいてゐるから、余は最悪の事態を想定し始めた。水や食糧の余分は多少あるし、夜の寒さもまだ何とかなるであらう。ただ、余には火の気がない。立ち止まつて考へ、やはり道が違ふのだらうと少し引き返す。ところが、下りより登る方が足元がしつかりするせいかずんずん登れる。これなら戻るのは大変ではないから、とにかく滝の処まで下りてみやうと言ふ気になつて再び降り始める。そして、さつき思案してゐた地点を少し越えた先の乾いた石の上に、自分のではない靴跡を見つけて、間違ひではないと確信できた。滝まで降りるとその横に、やつと水に濡れてゐない道を見つけて一安心。十分もしないうちに突如湯殿山神社の入り口に出た。

入口横に設けられた小屋で靴と靴下を脱ぎ裸足になつて受付で五百円を払い、お祓いを受ける。そして形代で全身を撫でてから息を吹き込んですぐ横の溝の水上に浮かべる。それから裸足のまま奥へと進む。十メートルばかり進んで現はれたのが赤茶色をした御神体の岩で、其の頂上から湯が湧き出て岩肌を伝い、あたりに流れ落ちてゐる。其の為の裸足なのである。御神体に向つて参拝してから、脇を通つて岩の後ろ側に登る。湯が流れ落ちてゐるので温かく気持ちが良い。御神体裏で御滝神社を拝してから来た道を戻り、足湯に少し浸かつた後靴を履いて一般参拝客の参道を進む。少し広い場所に出て其処から町営バスで多少仏教系の匂いの残る仙人沢レストハウスまで下る。此の時四時少し前。鶴岡行きのバスは四時半発なので、まあ予定通りと言へば予定通りである。此処で朝月山八合目までのバスで一緒だつた千葉から来た初老の方を再び見かけたので声を掛け、川下りのやうな山道の難儀を語り合ふ。実際あの水の落ち来る山道を湯殿山神社から月山に向けて登り始めてゐたら、途中で断念してゐたのではないかと思ふ。月山から千メートルくらい下つて来たと云ふことだが、登るとなればその逆となり、しかも月光坂の鉄梯子が待ち構へてゐる訳だから、其れは中々大変である。降りる途中に対向する登山者を見かけなかつたのもこれで合点が行つた。

鶴岡に戻り、新潟まで在来線特急、新潟から上越新幹線で東京に戻る。家に着いたのは十一時過ぎであつた。