線香と懇親会

七月十二日(火)晴
昨日蚊取線香を買つて帰つた。何十年ぶりかのことである。実は先日夜中に蚊に喰はれ、思はず殺虫剤を撒いて後で悔いた。無駄な殺生と思へたからである。殺す必要はなく、遠慮して貰へばいいわけで、それには蚊取線香が一番よい。邪魔なものを殺してしまへといふのはアメリカ合衆国の発想であり、わたしは金輪際そんな思想に染まりたくはない。
夜十時に火をつけて寝たら朝まで煙が続いてゐた。もちろん蚊に刺された痕もない。寝室が多少煙くさくはなつたが、どちらにせよずつと開け放してゐるから左程気になるほどではない。これでまた、昔の夏の夜を思ひ出させる風情が増えた。
今日は職場の暑気払ひの懇親会が会社の食堂で開かれた。珍しくわたしも参加。相変はらず馬鹿噺ばかりして過ごす。人を笑はす為に下らない話をし、自分もげらげら嗤ふ。そして終ると何だか悲しくなる。自分が嫌ひな人からいくら嫌はれやうと憎まれやうとたいして気にはならない。相手以上に自分が其の人間を嫌つてゐる自信があるからである。辛いのは好きな人に嫌はれることである。此の場合の好き嫌ひは男女の恋愛感情ではなく、単純な好き嫌ひを言ふのだが、そんなものでも片思ひは辛い。嫌はれても嫌ひになれないから辛いのかも知れぬ。好かれてゐない好きな人が、自分の嫌ひな人を好きだつたりすると、余計に意気消沈する。嫌はれてゐる嫌ひな人が、自分の好きな人を嫌つてゐると殺意すら抱くのとは好対照であらう。職場には苦手な人ばかりゐるやうな気がしてならない。