東京藝術大学

朝から上野に赴き、パリのEcole des Beaux Arts(美術学校)の教師二名、学生九名と倶に東京藝術大学を見学す。彼らは二週間程日本に滞在し、京都や東京の印象を元に作品を創るといふ。今回の来日が余の勤める企業の支援したるものなれば其の縁にて偶々仏語を喋る余が駆り出された次第也。会議室にて説明及び意見交換の後、彫刻科、工芸科、絵画科を見て廻る。彫刻科は木彫に専ら楠を用ひ、其の芳香実習棟に満つ。案内に立ちたる彫刻科准教授原真一氏と親しく話す機会を得る。工芸科教員は最も伝統色濃く、他科の教員は余り接触せずといふ。絵画科のアトリエは学生四人に一部屋なるも天井も高く広さも十分にあり恵まれたる環境といふべし。岡倉天心が藝大の前身である東京美術学校を追はれた際に行動を倶にした、横山大観菱田春草らの在籍した日本画科は見られず残念也。概してパリの中心に在るEcole des Beaux Artsより規模にて勝るやうなり。さう言へばパリの美術学校は余の滞仏中居住せしサンジエルマン地区に在り、このカルテイエには画商骨董等多く、近くのパレツトなる名のカフェによく行きたること等思ひ出され、懐旧の念に転た悵然たり。思へば二〇年の昔とはなりぬ。
午餐を彼らと倶にす。教授のEammanuel Saulnier氏と会話を交す。食後上野駅前にて袂を別ち、余は独り再び上野公園に戻り国立博物館に入場す。本館特別陳列中国書画精華を観る。目当ては黄庭堅筆「王史二氏墓誌銘稿巻」にて、是は小筆の手本として昨年来余の臨書したるものなれば、実物を見て感激新た也。通常展示では伝周文の山水画藤原行成の書等を観る。国宝を観る事十指に余る。退館し鶯谷まで歩み京浜東北にて帰宅。薄曇りの空に十四夜の月仄かに光るも夕刻より寒さ急に迫る。