日本フレグランス大賞

十月一日、第一回日本フレグランス大賞なるものが発表された。
ところが、そのウェッブを見ても、主催のフレグランス協会なるものの実体がよくわからない。賞の趣旨や選考方法、各賞のカテゴリー分類も含め不透明で、少なくとも業界やマスコミの大勢を巻き込んでのものではなささうなのは確かである。ラグジュアリー、セレクティブ、ポピュラーといふ部門の分け方も日本での販路やクラス分けを考へた際に適切とは思へず、非常に素人くささを感じざるを得ない。色々批判を書かうかとも思つたが、一般のジャーナリズムはもちろん業界でも殆ど話題にもなつてゐない現状では敢へて論ずる必要も無ささうだから止めてをく。ただ、大賞がクロエであつたことにはひと言述べてをきたい。
まず、対象の規定が明確ではないから何とも言へないが、何故二年前に発売されたクロエなのかといふ疑問がある。確かにこの香水の人気は高く街では今でもこの香りをつけた女性に出くはすことも多い。日本の香粧品の世界では、ひとつの香水が世間でそれなりに認知され話題となるといふ、明らかな「事件」であったから、もし一昨年か少なくとも昨年の受賞であれば多少なりとも「旬」なものとなつてゐたであらう。それが、2010年も終りに近づいた10月になって今さらこの香水を大賞に選ぶ意味も意図も理解できないのである。そもそもこのフレグランス協会といふ団体が、2001年当初13社の賛同を得て設立とあるのに、現在は五社しか出てをらず、実質運営してゐるらしいフォルテと輸入代理店のブルーベルを除くとコティとブルガリロクシタンの、それぞれの日本法人だけであり、大賞のクロエはコティ・プレステージの所有するブランドであるから、何らかの意図を勘ぐられても仕方がない状況であらう。
選考に関わつた知人からの情報によればさういふことはなかつたやうだが、二十人に満たない人々が個別に集められて選考させられたといふやり方も不透明で、その知人も賞のあり方や協会の意図のピントがずれてゐることを感じて、とても選考に関はつた責任を負ひ兼ねるといふ印象を持つたと言ふ。まあ、本来は業界が率先してアメリカやヨーロッパのやうな賞をやつてをればこんなことにもならなかつたのだらうから、この協会のみを責めるのは酷であらうが。

さて、賞はともかく、このクロエといふ香水については一度詳しく論じて置きたかつたのでこの機会に書くことにしたい。

まず、わたしが香道教室に通はなくなつた顛末から話を始めることにしやう。
今年の二月に月に一度の稽古に出掛けた際に、新しく始めたらしいR子さんといふ割とけばけばしい女性が来てゐた。三十後半くらゐだらうか。それまでは地味な女性の多かつたN師が主催する香道の会では異色である。わたしは何となくそぐはないものを感じたが、N師は嬉しさうである。翌月の稽古の際、早めに着いたわたしが稽古場のS庵で待つてゐると、このR子さんが初心者らしい友だち三人ばかりを連れてやつて来た。そのうちのひとりがクロエの香りをぷんぷんさせてゐたのである。わたしは嫌な気持ちがして、N師にそつと、強い香水を付けてゐる人がゐますが、香席は大丈夫ですかと聞いてみた。するとN師は気にならないらしく、わたしを怪訝さうに見て問題ないでせうと言ふのである。
この時点で、わたしはこれはだめだと思つた。香席にクロエのやうな強い香りをつけて来る方も来る方だが、その香りに気づかない香道の先生では話にならないと思つたのである。実際、クロエの強いウッディ・アンバーな香りが邪魔して聞香に集中できなかつた。
もちろん、それだけが原因ではないが、わたしはその時を最後として二度とこの会には行かないことにした。
そんな苦い記憶はあり、またチャンドラー・バーは酷評してゐるものの、わたしはこのクロエの香りはそれなりに評価してゐる。と言ふより、香水の流れの中で見た時に中々面白い特徴を有する香水だと思ふのである。多少話は専門的になるがその辺について論じてみたい。
まず、歴史を作ったのはソフィア・グロスマンといふ天才的な調香師である。彼女が1980年代に本当の意味に於けるモダンなローズ調香水を作つた。香水の世界でローズといふ香りが暫くの間天然の薔薇の香りから離れたと言ひ換へてもいい。
それは1983年のBeautifulと1985年のParisから始まつた。さらにその延長として1988年にEternityが出て一世を風靡するのだが、ここでは前ふたつを取り上げてみると、ともに一般的にはローズのテーマとして知られる香りであるが、ParisはどちらかといふとViolet/Irris寄りでありBeautifulはジャスミンやミュゲとの調和といふ、より古典的なテーマが再現されてゐる。
さて、今から考へて何が起こつたのかを振り返つて見ると、要するにウッディ・アンバー系合成単品によるローズ感の表現といふ一点に要約できるのではないかと思ふ。具体的にはIso E SuperとAmbroxanである。80年代半ば以降、使用されるムスクには時代の波を受けてまた別の流行があるし、Calonを始めとした所謂マリン調も別の歴史を築いてはゐるものの、大雑把に言つてここ20年ほどの香水で骨格として殆ど常に使われてゐたのはこのふたつの単品だと言つてよいだらう。ふたつとも、使用量が増えることにより単価が下がり、単価が下がることによつて使用量が増えるといふ善循環を享受して来た。
問題は、特にこのうちのIso E Superが、これほどまでにローズ調に合ふとは誰も思はなかつたのではないかといふことだ。ソフィアの香りに即して言へば、Iso E Superの処方中に占める割合がParisで5-6%、Beautifulでは3%だったものが、Eternityでは10%を越えるまでになる。ただ、この時まではIso E Superはあくまで重厚なラストノートを形作るモダンなウッディ・アンバーといふ扱ひだつた筈なのである。
Iso E Superは、それ自体では余り匂ひを感じない人もゐるくらゐで、決して拡散性の強い単品ではなく、いつまでも香りの続く所謂ラストノート向けと考へられて来た。このIso E Superが、Chloeでは何と22%まで増える。恐らく、この量のIso E Superとミュゲ系の合成単品(Lilial, Florol,Magnolan)、さらに少量のCalonが形づくると思はれるアコードが、他のローズ系と絡むことにより今までにない強力なローズ調の香りを出現させたのがクロエの正体だと思はれるのである。Parisから始まる香調の行き着く先を読み切つた作者の一人、ミシェル・アルメラツクの炯眼であらう。シンプルな処方組の中に独創性を発揮する彼の天才ぶりをそこに垣間見る思ひがする。
全くローズではない香りが、全体としてローズの香りを強調しデフォルメしてしまつたのである。我々はこの香りを嗅ぎ慣れることによつて、この手のものをローズと感じるやうにすらなる筈である。ローズをテーマに、部分的にはクロエのモチーフと重なるブルガリのRose Essentielleが、まるでわざとのやうにIso E Superを全く使つてゐないことも興味深い。AmbroxanこそChloeより多量に使ひ、全体にローズの上品さを醸し出してはゐるが、ムスクやジャスミン、ミュゲの香りを組み立ててゐるのは似たやうな単品である。わたしにはこのRose EssentielleとChloe の関係が、二十年ほど前のJARDINS DE BAGATELLEとPARISの関係に見えて仕方が無い。前者が上品さを目指し、商業的に失敗したのに対し、後者は大衆に迎合するかのやうな、ある意味思ひ切つたわかりやすさ、下品さにつながりかねないデフォルメを以て商業的に成功した香水といふことになる。
その意味で、わたしとしては苟しくも香道に携はらうとする者がクロエの香りをつけて欲しくなかつたのである。それがRose Essentielleであつたなら、わたしは今も香道教室に通つてゐたかも知れない。