三条西と追記

二月十二日(火)晴後陰
原勝郎著『東山時代に於ける一縉紳の生活』讀了。三条西実隆についての小著だが、日本史學上の名著だといふ。門外漢にとつては寧ろ今谷明による解説「『一縉紳』をどう讀むか」に教へられる処多かつた。明治末年以前は鎌倉・室町時代は「暗黒時代」として否定的に捉へられてゐたらしいのだが、それを変へる為には成程かういふ著作が必要であつた事が納得できる。実隆は言はずと知れた香道御家流の始祖とされるが、それは近代になつて家元制のもとに祭り上げられた丈の話で、現に実隆の歌道・連歌の師であつた宗祇も香道の達人であつたといふ。しかしまあ、実隆が當時にあつても一流の文化人であつた事は確かである。その子孫が余の勤める會社に居るのだが、香りに携はるのではなく情報システム部にゐるといふのも何とも不思議な感じがする。
さて、昨日説経節の話をして書き忘れたのだが、余が其処で言ふ説経節は音曲としてのそれではなくて、テクスト化された讀むものとしての説経節である。新内や浪曲になるとテクスト化されたものを讀むよりは音曲で聞きたく、文楽だと近松のものなどテクストでも讀み浄瑠璃も聞きたいのだが、今のところ余にとりて説経節は讀むものにしか触れてゐない。きちんとした公演をいづれ聞きたいものだとは思つてゐるが、ユーチユーブで僅かに垣間見る音曲としての説経節は、浪曲の古形のやうにしか聞こえず、今のところ余り食指が動かないのである。