野毛的晩春

二月十一日(月)陰
朝目が覚めて起きようとすると眩暈がした。吐気もあり、食欲もない。安静にしていたが昼食後病院に行くことにした。休日に急診を受け入れてくれる病院を探し、問い合わせてから済生会横浜市南部病院というところへ家人の運転で車にて向かう。結局CT検査までするも異常は見つからず、点滴を受け眩暈の薬を貰って帰る。血圧は高めで、毎年二月三月は体調の悪くなる時期ではあるが、それにしても後頭部に鈍痛があって気分が優れない。
病院から戻りDVDで小津映画『晩春』を観る。夜になって少し回復する。夕食後、平岡正明著『野毛的』読了。平岡師匠の本は得てしてタイトルから予想されるテーマから外れる文章の方に感心することが多い。もちろん野毛や横浜について書かれた文章も面白かったが、今回も一番面白かったのは「しのだづま一人芝居考」であった。これは勉強になったし、日本の芸能史や説経節に対する新たな視野を示して貰った気がする。さすが平岡兄イである。ふじたあさや/中西和久の「しのだづま考」をもとに、説経節の構造分析とでもいうべきものをやってのける批評家としての力量は大したものである。「しのだづま」と「河内十人斬」とを、殺しの帳尻勘定で比較する処など秀逸である。
私は何故か知らぬが説経節にとても惹かれる。今回は瞽女唄「葛の葉子別れ」を知って驚愕した。説経節は起源ではなく、もっと古い形態から新たな芸能へとつなぐ結節点なのだろう。説経節から瞽女唄、浄瑠璃文楽、歌舞伎そして浪曲へ。日本の芸能の正体が少しずつ見えて来た。私が一番好きな説経節は「刈萱」である。私もふじたあさやのように「刈萱考」をやってみたくなった。ほんの少しばかりアイデアはあるのである。