非常事態

東海道線不通の為出勤できず自宅待機。ネツトのTBSライブ映像でずつとニユースを見続ける。救援の状況、停電による交通混乱の情報、原発事故の動向、その合間に津波警報地震発生の速報を知らせる音が鳴り、各種記者会見の様子が流される。様々なことが起りつつあり、被災地から遠く離れてゐても否応なくこの未曾有の非常事態に巻き込まれてゐることを感じる。
茫然とモニターを見続けるしかないこの感覚は、十年前の九月十一日を思ひ出させる。あの日ニユージヤージーの会社に出社したわたしは、すぐにWTCへの飛行機激突、続いてビル倒壊といふ情報を知らされた。アメリカ人の社長が帰宅するやう自ら職場を歩き回つて皆に告げ、わたしも車で家に向つた。車内のラジオでは耳を疑ふやうなニユースが流されてゐる。帰り着いてからも、家人とともに刻々と移り行く状況と見えない全体像に茫然とテレビを見続けるより他はなかつた。やたらと喉が渇いたのを覚えてゐる。
今回はあの時のやうな、何が起つたのか理解しがたい不気味さや、世界の秩序が根底から崩れたことへの言ひ知れぬ戦慄はないものの、被災者や被災地に対する痛ましさは狼狽へる程のものである。先年初めて訪れた松島の、昼食をとつた寿司屋はどうなつたであらうか。そこに至るまでの仙石線の列車から見た塩竈辺りもすつかり姿を変へてしまつたであらう。それまでの当たり前の生活が根こそぎ奪はれた人たちの言ひやうのない悲しみを思ふと胸が塞がれる。