銅のちから

六月十四日(火)陰
帰宅後思ひ立つて通販で買つてをきながら其の儘にしてあつた銅製の台所流し用バスケツトを取りつけることにした。流しの排水口に置く浅い網目のバスケツトで、もちろんステンレス製のものが付いてゐるのだが、すぐに詰まつて排水の流れが悪くなり、その度残飯滓やら生ゴミなどをぬめつた表面から取り除くのが苦痛といふか、気持ち悪かつたため、銅イオンの力でぬめりの少ないといふ銅製をわざわざ買ひ求めたのである。通販生活といふカタログが送られて来て見てゐたら出てゐたもので、三千二百円は決して安くはないが、本当にぬめりが減つて排水が滞らないやうなら高くはないかも知れぬ。
当然、取り替へるだけではすまずにシンクを洗ふことから始めて古いバスケツトを結局きれいにしなくてはならぬ。料理じたいをそんなにせぬし、普段からわりと小まめにきれいにしてゐるからそれほど汚れてゐる訳ではないが、此の際だからといつもは見過ごす陰の方までよく洗ふ。きれいな流し台に不機嫌になる人などゐるわけもないから、まあすつきりとしたいい気分になる。真新しい銅の色をしたバスケツトを据ゑて終了。今後は其のイオンの実力を見て行くことになる。
それにしてもこの『通販生活』といふカタログは何とも特殊な雰囲気を感じさせる雑誌である。本棚を何度か買つただけで特別愛好するつもりはないが、カタログが送られてくるとざつと目を通す。そして安くはないが便利で良ささうなものを見つけて欲しいと思ふこともあるが、よく考へてみると絶対必要といふ訳でもないものが多くていつの間にか忘れてしまふ。よく作家や芸能人などがこの通販で買つたものを愛用する様子が載せられてゐるが、あれは何となく恥ずかしい。生活感丸出しといふ感じで、作家の神秘性といふか非日常性のやうなものが写真を見た瞬間に蒸発する。作家だつて生きてゐるのだから生活はあるとは思ふものの、便利なものを購入して自慢してゐる図は、通販の宣伝にはなるが本人の為にはならぬのではないかと余計な心配をしてしまふ。