乾杯

七月二日(土)晴
早稲田のリーガローヤルホテルにて二時より如道会後輩の結婚披露宴に出席。人の披露宴に出るのは十年以上ぶりである。新郎新婦とも竹を吹き二人とも前から知つてゐたせゐもあるのだらうが、今まで出た披露宴よりも感ずるところが大であつた。特に、両親の愛情を存分に受けながら個性をのびのびと伸ばして育つたふたりの似つかはしいカツプルの幸せぶりが伝はり、今まで感じたことのないやうな感動に似た心の動きを覚へた。ふたりの魅力的な若者の将来を心から祝福する気持ちになつたし、また自分が今後も此のふたりに何らかの形で関はつてゆけることに対する喜びも感じたのである。
今までの結婚式では自分を新郎新婦と同列に置いてゐたのに対して、今回初めて、自分が親の側の視線でふたりを見てゐることに気づいた。そしてどうしても新婦の父親の表情や振舞ひに注目したり心情を思はざるを得ず、要するに感情移入してゐたのである。それは自分にとつても小さな驚きであつた。寂しさと嬉しさがぶつかりあつて泣きさうな顔をしてゐる新婦の御尊父を見つめながら、わたしが得られなかつたものの正体と、その理由もまた明確に分かるやうな気がした。
幸せな人に対するわたしの偽らざる感情は、羨望ではなく敬意である。幸福な人たちは其れに価する立派な人生を歩んで来たのだといふことがわかるやうになり、恥ずかしながらわたしにはそもそも幸せになる権利がないことに気づかされたからである。それでも人の幸せを羨んだり嫉むよりも、祝福し倶に喜びたいと思ふ。さういふ気持ちになれたことだけがわたしのせめてもの幸ひである。