酒と器の格

七月三日(日)晴
昼に鎌倉は浄明寺にある小さなレストランで誕生日会。わたしを含め六月後半生まれの者がたまたまKさんの周囲に三人ゐて、Kさんがまとめて祝宴を開いてくれることになつたのである。Kさんとは此の日が二度目、もうひとりのTさんとは初めて会ふといふ間柄だが、Kさんの交遊関係に入つてしまふとそんなことはお構ひなしで、とにかく楽しく時間を過ごせるといふ按配である。Kさんは七十を過ぎた、わたしの母と同年代のご婦人だが、好奇心と交友関係の広さと、上品でありながら気取らない人柄で、一度知り合つたら離れられぬやうな魔力を持つた魅力的な女性である。
実は其のレストランは其の日が最終日で閉めることになるといふ。前からの常連であつたKさんは幅広い知人を連れて来てゐたらしいが、残念ながらひと区切りをつけることになつたのである。実際、何故閉めなくてはならないのか、其処の料理を食べたことのある者なら全く理解できないほど、自然派素材にこだはつたイタリアンべースの料理は絶品といふより他はなく、独りで切り盛りする女性の料理人はKさんと懇意といふより、すでに完全にKさんの交遊圏に取り込まれてゐるやうであつた。とにかく、杏と合せた生ハムや鎌倉野菜なるものをふんだんに使つたサラダからほうぼうのマリネ、パスタからデザートに至るまで、素材と手作りに拘つた料理は驚きの連続であり、旨いものを堪能した午後であつた。
しかも、かうした料理に対してKさんは格別な日本酒と、其の酒の格に似合ふ酒器を持ち込みで用意してくれてゐたのである。日本酒に詳しいТさんも、もちろんわたしも知らないやうな銘柄の酒を入手して事前に店に送り届け、当日には秘蔵のぐい呑みやら盃を自ら持参して、酒も良ければ器も良い中で、酒の格に合つた器で呑むとどんなに味が引き立つかを実地で教へてくれたのである。いやはや、同じ酒が、それも普通に呑んでも最高に旨い酒が、口にする器の「格」によつてこんなにも味わひや風味を変へるものだとは。驚きといふより感動に近く、上質を知る人によつて世界がどれだけ広がるかを実感させられた思ひがある。言ふまでもないが、さうした日本酒がイタリア料理と違和感ないどころか、絶妙なアルモニーを奏でるのである。脱帽して降参するより他はない。
三種類ほど用意してくれた酒の中で、個人的には「香露」といふ名の吟醸酒が特に好みであつた。もちろん、わたしが香りの仕事をしてゐることを踏まへての選定であらうが、そんなことを越えて名前通りの美しい酒であつたが、此の酒に相応しいとしてKさんが持参した美しい盃で呑むと、鳥肌が立つ程に格別な旨さなのである。酒の格が要求する酒器の格、或いは杯の格に見合つた酒が注がれた時の日本酒の旨さには、恐ろしい程の「美」が成立するのである。この事を教へてくれたKさんの交遊圏に自分を置くことで、わたしはもしかすると今からでも十分成長することが出来るのではないかと思ふ。人との出会ひの大切さと喜びを痛感する。菫山老人、齢五十にしてぱつと目の前の視界が開けたやうな気分である。Kさんのみならず、ご一緒したТさんやSさんとの出会ひにも感謝の思ひが強い。人とのまともな付き合ひが、わたくしやつと出来るやうになつた気がするので御座います。