名刺

十月十八日(火)陰
趣味や習ひ事、或は執筆関係で出会ふ方々に会社の名刺を渡したくなくて、肩書きのない本名を表に、裏に自宅の住所や号、メールアドレスだけを和紙に刷つた名刺を作らうとして、先日来藤沢の有鄰堂とやりとりをしてゐる。当初思ひ描いてゐた竹の画の透かしは適当な図案が見つからず、また費用も嵩むので諦めたが、源氏香の須磨の図を左肩に、右には嶺庵の名を入れた。今日校正が上つて来たので見ると苗字と名前の間が開き過ぎだつたので、直すやうに頼んだ。夕方になつて再校正が来たがまだ開きが大きく間が抜けてゐる。わたしの本名は苗字が二文字、名が一文字なので苗字二文字の間は三文字等間隔より少し狭いくらゐでいいのに、どうしても苗字と名の間が開いてしまふのである。安いものでもないし、折角作るのだから納得の行くものにしたいが、注文をつけてゐると有鄰堂の定休日など挟むので意外と時間がかかる。二十八日に或る集ひがあつてその時渡せるやう間に合はせたいのだがどうなることか。
仕事で名刺を渡すやうなことはもう余りない一方で、私的な場面で人と知り合ふ機会が増えてゐるが、そんな時会社の名刺を渡すことに躊躇ひと嫌悪感を覚えてゐた。会社には感謝と憎悪の両方の気持をどうすることも出来ず、そんな会社の名の入った名刺しか持ち合はせないことが屈辱でもあつた。マスコミや出版関係から会社経由で取材や執筆依頼が来ると、上司の処で止められるか妨害されるかのどちらかであるし、仮に頼まれるに至つたとしても嫌がらせに等しい面倒な手続きがあるので事実上書く気になれないのだが、今後この名刺を差し上げた方から自宅に直接連絡してもらふやうになれば受けやすくもなる。何故もつと早くに作らなかつたかと悔む程である。
さう言へばこの間有鄰堂に行つた際書道用具のコーナーで硯箱を買つた。木目がきれいでしかも其れが枯山水の石庭のやうに見えるのが気に入つて思はず衝動買ひをしたのである。硯を入れるつもりはなく、ただ箱として持つてゐたくなつたのだが、何故かわたしは箱ものが好きで家には大小さまざまな箱が並んでゐる。N子も実はわたし以上の箱好きなため、N子が越して来ると我が家は箱だらけになるはずである。もともと小箱のやうな小宅であるからこの際「凾盒居(かんごうきょ)」とでも名付けやうかとも思つてゐる。