電車内

十月十九日(水)陰
電車の中でマンガを読んだりゲームをしてゐるいい大人を見ると馬鹿じやないかと思ふ。これはまあ、古い人間であるかぎりごくまつたうな気持ちである。新聞や本を読んでゐるのを偉いとも思はないが、携帯電話のゲームや携帯ゲームで夢中になつてゐる姿を見ると、人目を憚らない無神経さとある種の無防備さを感じて不快になるのである。電車内での化粧やメイクに対するのと同じ感覚である。わたしは通常通勤に使ふ電車の中では何もしない。いや、実を言へば前に座つた人たちの顔を見て即座にその人に相応しい名前を考へるといふ遊びをやつてゐる。ぱつと見てすぐに思ひつく苗字と名前を組み合はせる。宇佐見健一とか坂口和江などといふ名前をその場で作りあげる訳である。それから改めてその名を頭の中で復唱しながら当人の顔を見る。さうして如何にもその名にぴつたりの風貌だと思へるとにやりとしさうになるのを堪へる。これが結構面白い。辻邦夫は小説家の心得として電車で乗合せた人ひとり一人の人生の軌跡を想像するのを常としてゐたらしいが、それよりは楽な遊びであらう。まさか自分の目の前に座つた人が自分の名前を勝手に想像してゐるとは誰も思はないだらうが、それと同じくそれぞれの人が何を考へてゐるかなど分りはしない。さう考へると怖い。ゲームで遊んでゐる暇はないのである。