旧制一高

八月二十二日(水)晴
竹内洋著『教養主義の没落』(中公新書)讀了。大正・昭和戦前の旧制高等学校を中心とした教養主義と、戦後の新制大学における教養主義との違いや、その没落の様相や消滅の要因について大方知ることが出來た。旧制高校生や新制大学生の讀書傾向や購読雑誌についての調査データは大雑把なものではあるが、経年的に見れば確かに傾向や変化は讀みとれて面白い。竹内によれば戦後の教養主義は七十年代に消滅した事になるが、今になつて考へると八十一年に大学に進んだ余が、教養主義が消滅した後に大学で教養を得やうと時代錯誤な空しくも孤独な戦ひをしてゐたことがよく解かる。讀後直ちに『偉大なる闇−師岩元禎と弟子たち』(高橋英夫著新潮社刊)を讀み始む。旧制一高の名物教師、岩元禎について書かれた本で、偉大なる闇とは漱石の『三四郎』に出て來る広田先生につけられた綽名を、一高生が岩元に当てはめたもの。一般には岩元禎こそが広田先生のモデルだつたとも言はれるが、著者は岩元を始めとして偉大なる闇としか呼びやうのない一群の高校教師を想定し、岩元を其の代表格と考へてゐるやうだ。一高−東大は近代日本のエリートコースの冠たるものだが、実際一高卒業生のリストは(中退者も含め)、驚く程の大量の著名な学者、作家、哲学者、教師、言論人で溢れてゐる。教育と教養といふものを考へるに当つてこれ位興味深い学校は他にない。今度の通信は、余の出会つた一人の(唯一の)一高卒業生についての回想から始めるつもりである。岩元禎の存在とこの高橋英夫の本によつて、教養といふものや明治以降の知識人の苦悩や思索について、余は何かが分かり始めたといふ感触を持つてゐる。それを書いてみたいのである。