温泉洪水

十二月二十七日(火)晴
山の上にある古い日本家屋である。立派な楼門と白壁と建物に囲まれた庭をわたしはお湯で満たし、これなら温泉旅館としてやつていけるかな、部屋数が足りないかな、などと考へてゐる。建物から出やうとして湯水の圧力で扉を開けられずに困惑してゐる女中のやうな者の姿も見える。わたしは楼門の上に登つて下を眺めると、信じられないくらゐ遥か下方に小さな地方都市の姿が見える。しかも、川沿ひの道が水に浸かつてゐて車が何台も水没してゐる。その時誰かが強引に門を開けたらしく庭の水がどつとその下界に流れ込む。見てゐると水は洪水か津波のやうに街路を襲ひ、車がぶつかつたり人が慌てて逃げたりしてゐる。
酷いことになつてしまつたと思つてゐるといつの間にか下の高校の門前にゐて、下校してくる子供を待ちながら、他の親たちと立ち話をしてゐる。そこに暴力的だと有名な体育教師が通りかかつたので、わたしは頻りに洪水を引き起こしてしまつたことに対する詫びを言ふ。体育教師は思つたよりまともさうで、気の毒げに話を聞き、傍に停めてあつたトレーラートラツクの荷台に上がり、人命救助の実演を始める。わたしは急に宿の客に出す献立と料理に必要な食材のチエツクリスト作りを始めて忙しいところに音がして何かと思つたら目覚ましであつた。
実は昨日会社の理容室で髪を切つたのだが、その時テレビでスマトラ沖地震から丸七年といふ番組をやつてゐたのである。その影響であるのは確実で、テレビを見慣れぬ人間は、たまにちらと見ただけでこれ程までに残像が無意識の中で響き続けるのである。考へてみると、ほんの少しでもテレビを見かけると、必ずと言つていいほど、その映像と関連のある夢か、或は然るべき連想の結果としか思へない夢を見てゐる気がする。一日数時間もテレビを見てゐたらどうなつてしまふのか、思ふだに恐ろしい話である。