愚挙 

二月十五日(金)陰後雨
定時退社後平塚驛近くの伊太利亞料理店にて送別会。余の属する研究所の所長某が急遽退社することとなり開催せしもの也。此の所長、某外資系同業他社より轉職せし者にて、今囘も亦同業他社、即ち競合する他社へ轉出するにも関はらず、厚く送別の宴を開く。素晴らしき會社と言ふべく、愚の骨頂也。此の會社の、去る者に甘く居續ける者に對し冷き事推して知るべし。通常競合への轉職退社となれば、辞表提出の其の日より社内立ち入りを禁ずる事は香料会社研究所ならずとも通例ならんが、自由に出入りを許し、剰(あまつさ)へ送別の宴まで設く。良く言へば寛大、普通に考へれば愚の最たるものならん。余は元來定年以外で會社を辞める者は敵前逃亡、裏切者として遇するを常とし、其の後一切交誼を結ばず。況(いはん)や競合相手に走り去る者に於いてを哉。今囘は義理に負けて出席するも不愉快なること甚し。胃に凭れるので大嫌ひな洋食の餐席に列せられ、余は目眩もあれば酒類は口にせず、戯言冗談を陳ぶる事に終始す。去る者と真面目な話の一語も交さず。十時過ぎ歸宅。俗悪背任の汚穢を落とすべく沐浴して寝る。近來稀に見る嫌な晩なり。