粗忽もの

六月六日(木)陰
會社を一時間早退して日本橋へ向かふ。お江戸日本橋亭にて桂扇生の落語の會。木戸口にて家人と待ち合せ、一人仟伍百圓払つて中に入る。此処には前に岡本派の新内を聞きに來た事がある。前半分の座敷席は人が少ないものの、後ろの椅子席はほぼ滿席。六時半開演にて主催者でもある素人の前座の後に、扇生の「粗忽の釘」。扇生といふ噺家は初めて聞く。家人が知り合ひで案内を度々呉れるのだが、中々行けずにゐた処、偶々都合もついての運びである。割に口跡がよくて端切れもあつて惡くない。三席目はむかし家今松の「へつつい幽霊」。中入りの後にトリは扇生の「船徳」。余は普段からそれ程寄席に行く方ではないが、昔から落語は好きで、馬生や先代の正蔵志ん朝、談志や小さんは生で聞いてゐる。又、志ん生や文樂はレコードで聞いてゐる。だから藝にはうるさい、といふ訳ではない。ただ、さういふ藝達者の噺と比べると、偶にテレビなどで見る、真打でも若手や中堅どころは聞いてゐて此方の方が落ち着かなくなつて來ることが多いのだが、扇生さんのは落ち着いて聞けた。顔が劇画風に整つてゐることもあつて若旦那はそれらしいし、粗忽の釘のおつちよこちよいの大工も上手かつた。また聞いてみやうといふ氣にはさせる噺家である。
九時前に引けて近くの西洋居酒屋で飲酒輕食の後帰途に就く。新日本橋から横須賀線直通に乘り座れたので割に樂であつた。