サイン

八月二十日(火)晴
気がつくと月曜の英語の授業にもう三か月も出ていない。出なくてはと思いながら、用事ができたり寝坊したりでずっと出られずにいるのだ。これで進級できるだろうかと不安がよぎる。教室に行こうとするのだが、何か邪魔するものがあって、着いたときには教室には誰もいない。後ろの壁に二つに割られたCDが貼り付けられていて、それを見て私は人物造型が大切なのだと悟る。それからゴルフコースに出かけて、五十肩できちんとしたスウィングができるのだろうかと思いながら、ぐらぐらして不安定な上にテイクバックでクラブが木に当るのを避けねばならぬという二重苦の中ティーショットを打つと、これが意外に真っ直ぐに飛ぶ。池の中にある三十メートルくらい打ち上げの高台のような島へ第二打を打とうとしたところでチャイムが鳴り、教室に戻ろうとすると廊下に菅原文太がいたので急いで教室からさっきのCDの破片を持って行ってサインを頼むと「誰にでもするっちゅうもんではないけんのお」と言いながらも快く応じてくれる。そして、お前は本当はできるんじゃからしっかりせにぁあかんじゃろうがという声を聞くが、文太が言っているのかと思って振り向くと目が覚めた。