雑感

四月二日(木)晴

なるほど
春の高校野球が終わつた。決勝まで進んだ北海道の東海大四高に韓国名の選手が何人か居て、あれと思つた。そして、あらためて大學名を思ひ出して納得した。日本海大學ではなく、「東海」大學だから野球留學出來たといふ訳であらう。

山櫻
伊豆の戸田といふ處に岬があつて、其処の造船郷土資料博物館を訪ねた。ロシア船デイアナ號沈没時や其の後の造船時の資料が展示してある。象山や川路聖謨とも關係のある事件で最近讀んだ幾つかの本にも言及があつたので面白く見た。駐車場から博物館へと向かふ道の脇に櫻が咲いてゐて、それが實に佳い風情である。植物學的に正しいかどうか知らないが、山櫻なのではないかと思ふ。すらりと高く伸びた幹や枝に、芽のやうな若葉と大きく開いた花びらとがバランスよく散りばめられた感じの咲きやうが、清楚で美しい。国宝の花下遊楽図屏風を始めとして日本畫の描く櫻は殆ど此の類であり、染井吉野の絢爛な花盛りとは自ずから別の格別な風趣が漂ふのである。春にぱつと咲いた明るさをもたらす染井吉野も惡いとは言はないが、あの櫻を日本の花の代表のやうに思つてしまふと、古典の讀みを誤る可能性が高いことを心に留めておきたいとは思ふのである。

長八の町/彦子の町
つげ義春の漫畫に親しんだ人なら長八の名は知つていやう。「長八の宿」の入江長八である。今囘初めて松崎の町に行き、長八の墓もある浄感寺を訪ねて長八の作品を見ることが出來た。左官屋が本業ながら漆喰に彩色を施したり彫塑に色をつけたり天井畫を描いたりといつた多才で知られる。水墨畫なども殘されてゐて器用な人だつたことがよくわかる。ナマコ壁と呼ばれる土蔵や塀の並ぶ街並みは獨特で、それが長八の漆喰装飾によく似合ふ。甲斐荘楠香の妻彦子も此の町で生まれ育つたのだと思ふと懐かしさがある。小さな町で鄙びてゐるのは確かなのだが、白壁のお蔭もあつてか不思議と明るい印象がある。觀光案内所の隣は彦子の親戚でベルリンから彦子に繪葉書を寄せた事もある薬學界の大物近藤平三郎の生家であつた。好きな場所になりさうである。