若い男の声

三月朔日
會社での私の居場所は通常静かで仕事がしやすいのだが、晝になると途端に騒がしく居心地が惡くなり逃げ出すことになる。若手の社員が隣の會議室に集まつて一緒に食事をするので喧しくて仕方がないからである。入社二年目の同期の男女六人くらいの、普段の態度とは異なる同期ならではの明け透けな會話に居た堪れなくなるのである。特に關西辨を喋る男の声といふか話し方や声の大きさが耳触りで大嫌ひなのである。奴は比較的後からやつて來るので、その前に自分の辨當を食べ終るやうにして、來たらすぐ部屋を出て散歩に出ることにしてゐる。女子だけで喋つてゐる間はさして氣にもならず、多少騒がしくても何を話してゐるのか氣にも留めずに音として聞き流すことが出來るのに、關西辨の男の大きな声と笑ひ声がして來ると嫌惡感で我慢がならなくなるのである。ひとつにはそこに私のお氣に入りの女の子がいて、彼女に馴れ馴れしい口をきくことへの腹立たしさはある。しかし、それだけではない。その若い男の關西辨による馬鹿話や會話の内容が下らなくて世の中を舐めてゐて頭に來るのである。女の子たちの會話であれば、聞き耳を立てることもなく小鳥の囀りのやうに「音」としては知覚するものの、その意味を追うことも、たまたま耳に入つた話のたわいの無さも氣にはならないのだが、男の声だとつひその意味内容を追つてしまひ、それが青く輕薄なもので、ましてや其の發言に女の子が笑つたりすると、怒りに我を失ひさうになる。關西辨の輕くて調子のいい喋り方とその若い男の声が掛け合わされると、斯くも激しい嫌悪感を感じさせるのである。