梅香忌

三月三日(金)晴
昨日迄の雨も止みよく晴れた朝である。八時半頃車で出発し、一路伊豆へ。十二時前に松崎着。三好にて鰻を食し晋ちゃんの店に行くとまだ食事中とのことで、近くの民藝茶房で待つことにする。ちょうど松本さんも自転車でやって来たところである。まずはさつま揚げの端山で買い物をしてから茶房で三人でコーヒーを飲んで待っていると一時過ぎ晋ちゃんも来て私の車で円通寺に行く。既に円通寺の方丈さんが待っていて、車二台で相生堂近くまで行き、車を停めて山の端の墓地に向かう。宮嶋のぶさんの百五回忌のささやかな法要の墓参りである。晋ちゃんが持参した花を活け、私は線香に火をつける。松本さんは何日か前にお墓の掃除をしてくれている。そして方丈さんの読経があり、改めて各自線香を捧げ懇ろに合唱する。百五年前に四十五歳で亡くなったひとりの女性の人生に思いをいたし、改めて安らかな冥福を祈る。と同時に、胸のつかえが取れたような爽やかな気持ちにもなるのであった。昨年末にこの墓の存在を見つけて以来、何か供養のようなことを出来ないかと思っていたのが、こうして命日に彼女の生き様を知る者が集まりお経をあげてもらえ、ほっと安堵したというのが正直な気持ちである。読経を終えた方丈さんに用意した香代を渡そうとすると、晋ちゃんが遮ってここは端山家が出すと言う。のぶさんと一番近い縁があるのが端山家であり、また円通寺の方丈は端山家の墓のある禅海寺の方丈でもあるので、檀家ということもあり、素直に引き下がって出してもらう事にする。方丈さんとはそこで別れ、残りの四人は再び晋ちゃんの店に行く。暫く談笑の後、近くにある端山の本家に行く事になる。仏間に上がって仏壇の浅吉さんに線香をあげ合唱する。百四十年ほど前に、妻子のあった浅吉さんとのぶさんの間に出来た娘である彦さんが馬場家の養女となり、成長して甲斐荘楠香の妻となる。その楠香の興した会社の社員である私が、彦さんに興味を抱いて調べた結果が今日の法要なのだが、その同じ日に浅吉さんの位牌にも手を合わせることとなったのである。しかも仏壇周りには老境の浅吉爺さんの肖像画のみならず小さな彫刻まで置かれている。その姿が、話に聞く浅吉爺さんの素顔から想像するものにぴったりなのである。頑固な名物爺さんの面影が明らかに見て取れ、妙な親しみを覚える。浅吉爺さんにまつわる話が強烈なので、例えば温厚な爺さんではイメージが合わないし、見るからにイジワル爺でも嫌なのだが、それが実にうまい具合にイメージ通りなのである。本家の親切そうな方々にお礼を陳て辞す。それから三時過ぎに松崎を発ったのだが、東名に乗るまでがいかにも遠い。六時半頃に名古屋に着くつもりだったのだが、とんでもない話で、新東名をかなり飛ばしたのだが、丸ノ内にあるホテルに着いたのは八時十五分前であった。少し遅れると電話を入れてタクシーで伏見の店に向かう。何とか約束の八時より五・六遅れで着いた。店にはすでにK夫妻が待っていた。それから十一時過ぎまで、名古屋コーチンのさまざまな料理を食べながら歓談、話題の尽きることなき楽しい時間を過ごす。K氏とは未詳倶楽部で知り合って意気投合して以来仲良くして貰っている。知的な刺激に満ちた時間であった。