ペシミスティック・ジャパン

五月十五日(月)陰
人生の敗者として日々の憂愁はいよいよ深さを増して来た。何に対しても興味を持ち得ぬ時間が続き、自分の身体や頭の中が空洞化していくような感覚がある。未来に希望はなく、振り返れば後悔ばかりである。心は固く閉ざされ、笑うことも滅多にない。何を見ても自分との距離は限りなく遠く、言葉を紡ぐことに興味も興趣も感じない。こうなると、楽しく生きている時には何より恐ろしい死というものが、さほど怖いものには思えなくなってくる。死にたいとは思わないが、それも解決のひとつ、安寧への道だとは考えるようになるのである。まあ、そのように思えることがある種の慰めであり、そうした思いを吐露表白する術と場所のあることは救いでもあるのだろう。誰かのせいにしてしまえば少しは気も楽になるのかも知れないが、自業自得を生きる上での根本に据えてしまった以上そうも行かぬ。難儀ではあるが、ペシミスティックな毎日をじっと耐えて生きて行かねばならないのだ。耐えるべきものが自分の愚かさや無能、世間の中で生きる上での手管の欠如であることは明らかだから、そこに忍辱のヒロイズムはなく、諦念の清しさもない。言って悪あがき、実のところ単なる惰性で生きているに過ぎない。いつも実際にはこんな風に生きて来ただけのような気もするし、合間に楽しかったり調子に乗って過ごした日々も、遠く霞んで本当にあったことなのか定め難い。すべては茫洋として縹渺たる彼方の出来事で、自分はずっとこの場所で途方に暮れていただけなのではないかと思われる。