ぎりぎりの脱線

七月二十三日(月)晴
社史を書いていると、会社の動きを叙述する中で当然世の中の動きや出来事との連動を説明する必要が出て来る。多くの場合、そうした出来事の詳細や背景は簡単に触れるだけで、それぞれ所与のものとして扱われる。わたしはそれが嫌で、というより、そうした背景となる政治的ないし社会経済的な背景について自分がよく知りもしないし理解もしていないことに気づいて(苛立って)、調べてみることが多い。特に戦前や戦後すぐのころの出来事は、知らないだけでなく興味もあるので、ついつい詳しく調べる気になる。そうすると、どうしても社史に必要最低限な知識にとどめておくことが出来ずに、それぞれのことがら自体の詳細について知りたくなり、脱線というべき深みにはまることも多い。調べれば調べるほどわからなくなることもあるし、おおよそは理解しても社史に必要な事項について書かれた文献が見つからなかったりして、時間も労力もかかるのである。今はネットで読める文献も多いし、少なくともネットで所在を確かめられるから、徒労に終わることは少ないものの、それでもこの酷暑の中図書館通いはなかなか辛いものがある。わたしの場合通勤途上にある横浜市立中央図書館に行くことが多いが、そこにない場合溝ノ口の県立川崎図書館か国会図書館に行く。それぞれ駅からそれなりの距離があって、特に国会図書館は駅から遠くて疲れるのだが、さすがに他にないものもここにはあるので一挙に問題が解決することもあり、最初から行けばよかったと思うことも多い。
さて、そうして脱線して調べた項目を羅列すると、「軍管理工場」「統制経済」「軍需産業民需転換」「在外会社整理」「軍需会社法」「航空液体燃料政策」「有機合成事業法」「対日賠償問題」などであるが、それぞれを個別に理解するためには背後にある大きな流れを理解しなければならない一方で、社史が必要とする個別の事情に関しては参考になる文献がほとんどないというジレンマにも逢着する。ということは、背後の歴史的理解を深めようとすれば社史からどんどん脱線して行き、会社の個々の出来事をそうした歴史に位置づけようとすれば、脱線の上で得た知見をもとに、手もとにある不完全な一次史料とともに、みずから考察を組み立てなければならなくなるのである。おそらく、それがあるから大方の筆者は所与のものとして、たとえば「在外会社の指定を受け、GHQの支配下に入ってさまざまな制約を受けることになった」などとさらっと書いてしまうのだろう。在外会社を規定する法律や指定の日付、制約の具体的な内容、さらに指定の背景まで探ろうとすると、それだけで結構大ごとになり、調べて行くとそれまでの社史で書かれていた内容が必ずしも正確でないことが明らかになるのである。在外会社とは旧日本の植民地に本店があった会社を指すのだが、連合国はそれらを日本の植民地支配や軍部支配への協力者として懲罰的な措置を考え、かつ賠償問題もあるので海外の財産の一切を接収してしまうのだが、それも占領政策の変化とともに意味合いが変わっていく。周知の通り、日本は結局のところ戦勝国に対し、またアジアの国々に対して戦後賠償をほとんど行っていないが、その代りに海外の財産については、国有私有を問わずすべて没収され、これが事実上唯一の賠償ともみなされることになったのである。この辺の背景と結果を書かずして、在外会社なるものの実態とその悲劇は理解しようのないものなのだが、大方の社史では「とにかく戦後はいろいろ苦労した」という話の中に一般化されてしまう。
つまり、社史の範疇から逸脱、脱線しない限り、社史は社史の中で自己完結した言説にしかならず、会社と社会の動きの相互関係を理解することにはならないのではないか。社史を書くこと自体簡単なことではないが、社史を越える「会社の歴史」を書くことはさらに困難であり、わたしにそれが出来るかどうかはわからないが、少なくともそれをやれるだけの時間を与えて貰っている以上、少しでも脱線を通じて埋めるべきところは埋めていきたいと思う。社史などふつうの人たちは見向きもしないだろうが、やってみると結構面白く、固有の困難さと壁があることが実感される。少しでもその壁を乗り越え、「社史」以上、「歴史」以下の読み物を作ろうと思っている。