今さらながら

十二月二十七日(木)晴
今さらではあるが、はじめてIMAXで映画を観た。大画面高画質、大音量高音質を誇る上映方式で、通常より500円高くなる。『ボヘミアン・ラプソディー』二回目をIMAXで観たのである。大画面は確かに迫力があり、視界はスクリーンで占められるので、映画の世界に完全に入り切ったような感覚があり、とても良かった。二度目で当然ストーリーは終えるので、字幕より英語でどう言っているのかを中心に聞けたのも良かった。最初の野暮ったくてそれほどフレディに似ているとも思えない俳優が、ステージでの姿になるとどんどん似て来て、次第にその風貌の先にフレディが重なるようになる。そして何と言ってもブライアン・メイ役の俳優が本人よりもイメージとしてのブライアンに近いのだ。知的で大人びていて落ち着きがあると同時に、微妙にダサい服装など、何とも言えぬ味がある。今回見て気づいたのは、ライブエイドの観客で、中年の男性が涙を流し、隣の息子らしい若い男に肩を支えられるシーンは、要するにわたしのようなクィーンをリアルタイムで知っていた世代が、あらためてフレディの歌に涙するのを、初めてクィーンを聞く世代が共感するという、映画の反響をそのまま映像化したものなのだろうということだ。実際、わたしの周辺でも幅広い世代のものすごい数の人たちがこの映画を観ている。義妹夫婦とその大学生の息子、義父母、妻の伯母叔母、従兄弟など、親戚だけで10人、観た回数で言えば13回を超える。こんな映画は今までになかったのである。
ハリウッド映画をまず見ないわたしだが、この作品はハリウッドの映画関係者の情熱が良い方向で動いた成功作と言えるだろう。アメリカツアーの途中で、メアリーに電話をかけているフレディが、トレーラートラックから降りて来た男性がトイレに入るまでを目で追うシーンがある。フレディの男性への欲望の芽生えを感じさせるシーンだが、その男性のトラック運転手らしい、ビッグダディ風な鷹揚な雰囲気とともに、トラックがMAC社製であるところは、トラック好きのわたしも唸った。ここはどうしてもMACトラックでなくてはならないのだが、このテーストを理解するのはアメリカ人の中でも少数派かも知れない。MACトラックが持つアメリカンなコノテーションを知っていると、こういうところまで神経が行届いていることに感心するのである。
映画を観て、ユーチューブでライブエイドの録画を見て、サントラ盤のCDを聞いていると、また映画が観たくなる。三回目もあるかも知れない。