おそロシア

十二月二十一日(金)晴
佐藤氏の影響もあって、わたしの中でロシアに対する関心が高まっている。もともとロシア文学には興味があり、大学時代も水野忠夫先生のロシア文学史の授業を面白く聞いていて、それをきっかけにロシア・フォルマリズムブルガーコフを読んだものである。タルコフスキーはじめソ連の映画も好きだったし、バレエやフィギュアスケートなどのパフォーマンスアートにおけるロシア的身体のあり方は西洋人や東洋人とは違う世界のものであるような気がして、ずっと魅了されて来た。ドストエフスキーツルゲーネフの影響は今さら言うまでもないことである。それでいて、ソビエト崩壊後のロシア人のなまの姿をユーチューブで見るにつけ、底抜けのポンコツぶりにそれまでのロシア人観が揺らいで妙な親しみを感じたりもするのである。シベリア抑留に対する憤怒は今も残るが、それは要するに韓国人の日帝の非道に対する恨みと同じだから敢て声高に叫ぶことはしないでおこう。ロシアの歴史を含めてロシア人という異質な人々への興味は嵩じていて、今度はロシアに行こうかと思っている。佐藤氏のロシア体験やロシア人に対する記述も余計に興味をかきたてるものがある。ところで、ロシアの知識人や政府高官と親しい関係を築き、一方でトランプと同じプロテスタント長老派に属して、トランプの内在論理を理解しつくしている佐藤氏は、現在の米露を中心とした世界の政治状況を解き明かすには最適な人物と思われ、実際世界情勢に関する驚くべき量の書物を次々と出版しているのだが、氏の唯一の弱点は中国ではないかと思う。氏の思想的自叙伝を読んでわかったのは、氏に中国文化に対する興味や敬意がほとんど感じられないということである。漢詩や書や山水画、あるいは儒教道教に関する記述は見たことがないし、日本文化の源流としての中国文化に対する興味もほとんど感じることがなかった。プーチンとトランプは語れても、習近平を語る際の鍵となる理解が欠けていることが、今のところ唯一の弱点なのかも知れない。