嶺庵の話

十一月九日(火)晴
昨夜嶺庵の畳の配置を変へる。四畳半程の広さのフローリングの洋間に畳三枚を縦に敷き並べてゐたのを、縦一横二にしたら随分と雰囲気が変はつた。床の間代はりの飾り畳の位置も移す予定で、今度は壁面を背にするので掛軸を掛けられるやうになる。ただし、掛軸などさうさう買へないから、色紙を差し替へられる掛軸を吊るすつもりである。それに伴ひ入口近くに衝立を置く。嶺庵は北側にあるので冬は寒くヒーターを置かねばならないが、その目隠しとして五月に買つた衝立がやつと役に立つことになつた。此れで廊下の視界から嶺庵の中が半分ほど隠れる。当に侘茶の茶室並の狭さと簡素さだが、是がまた落ちつくのである。昨夜は暖かかつたせゐもあつて、五葉松「遊行」を眺めながら三井美術館で求めた応挙の目録を拡げて時間を過ごした。何も置かない三畳は、独りで尺八を吹いたり画帖を拡げるのには丁度良い広さだし、坐禅には広すぎる程だ。客を迎へても二人までなら窮屈さはない。嶺庵茶話会の客を二人までに抑へる理由である。今飾り畳のあるところには文机を購ふ予定で、硯箱を置いて此処で書に親しむつもりである。この机は客を迎へる際には花台にして、花か盆栽を置く。明りが今は洋風(と言ふか、普通の電灯)なので、いずれ和紙を使つた傘の電燈にしたい。残りのフローリングのスペースに今は無粋な本棚があり、その下半分を飾り棚に見立てて香炉など置いてあるが、いずれは違ひ棚のある飾り棚を据ゑるつもりである。そして盆栽や水石、水滴などを飾りたいと思ふが、予算の関係でその実現はずつと先の話になりさうである。老いた独り身の愉しみとは、こんなものなのであらう。