納豆卵スープ

食事に納豆を食することが多い。安くて簡単で美味しい上に栄養があるのであるから、最高の食材であらう。中年男のひとり暮らしではとにかく簡単に出来て生ゴミを出さないことが優先されるから、勢ひ納豆を食べる機会は多くなる。わたしにとつての贅沢は、此の納豆と生卵、そして刻み海苔と醤油を混ぜ、其れを温かいご飯の上にかけて食べることである。子どもの頃家では母がこれに葱を刻んで入れてくれたものだが、其の方が旨いのはわかつてゐても、流石に其処までは手が回らない。刻み海苔すら、すでに刻んであるのがパツクされたもので、最初に買つた時はテーブルの上に置いたままで直に湿気させてしまひ、冷蔵庫に入れることを思ひついてから長く使へるやうになつたものである。子どもの頃は葱が切られて出てくるのが当たり前と思つてゐて、此の歳になつてやつと、さうした手間を惜しむことなく食べさせてくれた母の苦労に感謝することが出来た訳である。
さて、納豆と卵は当然ガラスの小さなボールで混ぜ合せるわけだが、食後に湯を沸かすと薬缶から此のボールに熱湯を注ぐ。永平寺の食事作法に則り器を湯で洗ふのである。さうすると、ボールの縁に付いてゐた卵が熱で変成して白い靄となり、丁度卵スープのやうになる。思ひの他其の量も多いのである。ボールを両手で持ちお湯を回して縁に付いた卵や醤油を湯に溶かし、序に箸も洗つてから、其のお湯を今度は茶碗に注ぐ。此方には米粒や海苔や納豆も付いてゐるからお湯は更に濁り醤油の味も増してスープのやうになるので、両手で此れも回してから戴くのである。熱湯も此の頃には丁度いい熱さになつてゐて、やや淡白な薄味ながら滋養に富んだ此の「納豆卵スープ」は実に旨い。用ゐた食べ物を残さずすべて摂取した上、皿洗ひも楽になるといふ良い事づくめのスープである。是非お勧めしたい。
ところで、先日東原氏と話してゐたら、独身男性は既婚者に比べて早死にするといふことがデータからも明らかなのだと教へてくれた。確かに、思ひ当る人々も居て、飲酒や偏つた食事などが原因なのだらうとは見当がつく。何事も面倒がるのが中年独身男の常だから、だうしてもずぼらな生活になつて、其のダメージがからだに蓄積してゆくのであらう。尤も、彼の言ひたかつたのは、食事よりも独り身の寂しさとか張りの無さが生きる活力を失はしめるといふ事だつたのかも知れない。他人事ではないのだが、わたしには寂しさや悲しさこそが生きる上での支へになつてゐるやうな気もするのである。