琳派ふたたび

三月二十七日(日)十時過ぎ京都着。地下鉄にて今出川に往き相国寺拝観。開山塔と其の南庭、浴室を初めて見る。何故かは知らぬが今に残る京都五山のうち、此の相国寺だけは余り好きになれない。


相国寺龍渕水の庭

其の後上立売通を西に歩み妙顕寺に至るも本堂大修理中にて四海唱導の庭は見られず。すぐ隣の宝鏡寺は特別公開の人形展にて庭を見ることを得る。人形には大して興味沸かず。堀川通りをバスで北上し大徳寺前で降り、昼食の後こちらも春の特別公開の塔頭黄梅院を拝観。寺域の広さにも驚かされるが、直中庭と破頭庭、作仏庭と趣の異なる枯山水の他に、幾つかある茶庵の周囲にも名石を配し、雲谷等顔の襖絵もあり、大徳寺の中でも大仙院や龍源院に劣らぬ興趣溢れる塔頭と言ふべし。ただし、堂宇内はともかく、通常は許される庭の写真撮影も不可とて、一方で絵葉書色紙等を並べて売りに出す姿勢と倶に儲け主義の匂ひ芬々たるは残念也。



上 宝鏡院、門跡尼寺らしい庭
下 大徳寺黄梅院の写真の許された新しい建物とその周囲

今回大徳寺は其処のみにて、バスを乗り継ぎ鷹峰源光庵に赴く。京都には珍しき曹洞宗の寺院にて、北山を借景とした枯山水と倶に、此処にも悟りの窓といふ名の丸窓が、四角い迷ひの窓と並んで在る。小ぶりながら落ち着きのある良い寺である。



源光庵の北山を望む庭と悟りの窓、迷ひの窓

源光庵前からバスを乗り継ぎ上賀茂神社に往く。こちらも初めてにて、広い境内にて日曜なれば手作り市なる催し開催さる。本殿に往き三百円を払ひ護摩の焚木に「福島原発事故調伏」と書いて奉納。神殿に向かひ同じ事を祈る。
後で知つた事だが、何と此の上賀茂神社、即ち正式名加茂別雷神社は三月十三日の段階で「放射能洩終息祈願祭」を執り行つたといふ。素晴らしい。流石は皇室との縁も深い社格の高い神社だけのことはある。きちんと国の難事に祈りを捧げた神社もあるのである。其れをした神社としなかつたところを後から絶対に検証してゆくつもりである。又、丁度国宝の本殿特別拝観も行はれてゐたので五百円払つて拝観。更にご神札も購ふ。一気に上賀茂社への崇敬の念高まる。
上賀茂神社前から市バス46系統に乗り、千本丸太町にて202系統に乗り換へ東山二条で降り、徒歩細見美術館に至る。「麗しき日本の美」展の後期「琳派を愉しむ」を観る。畠山美術館の「酒井抱一展」は地震の為に見損なつてしまつたが、今回も琳派、特に江戸琳派を大いに堪能。益々抱一と鈴木其一が好きになる。今回は更に神坂雪佳や沖一峨にも親しむ。琳派の美意識と装飾性は余の感性に余程合致するものらしい。地下のミユージアムシヨツプは品揃へもよく、今回展示の作品を含む図録や敷き布など購ふ。レジの後ろには余が嘆息を漏らせし其一の雪中竹梅小禽図二幅が額に入れられて掛かつてゐる。思はず値段を聞くに十五万七千五百円といふ。手の出ない額ではない。但し、注文生産だといふのでカタログを貰つて見るに、余が良いと思つた作品の大方が載つてをり、手に入れたい気持ちが高まる。暫く悩む事になりさうである。
バスにて四条河原町に出るに三条河原町近くでの火事騒ぎにて周辺騒然とす。カフエにて小憩の後京都駅に戻り、電車にて大阪まで行き徒歩本日の宿に至る。チエツクインの後近くで遅めの夕食をとる。充実した休日なり。