素晴しき一日

五月十八日といふ日付にふさはしい素晴しい天候の一日である。花は咲き、空は青く、風は心地よい。薔薇の花は陽光を浴びて咲き誇り、其の芳香は潔く発散されてゆく。ちらほらと見え始めた女性の半袖の腕はまだ白いままで、スーツを着て歩いてもからうじて汗をかかずにゐられる気温のもと、乾きすぎもせず湿り気も少ない空気は何やらやさしい肌触りである。電力の消費比率が低いまま推移してゐるのもむべなるかなと思はせる。天の下生きとし生けるものすべてが安穏にかつ快適に生命の営みを続けられるが如き一日である。
さうであるのにわたしの心は晴れない。塞ぎの虫にとりつかれたやうに、何をしてゐても心たのしむことがない。気軽に思ひを語る相手のないことが、事態をさらに悪くさせてゐるのもわかつてゐるが、どうしやうもない。外光が澄んで明るい分だけ、日陰はコントラストが効いて暗く見えるといふこともあらう。それでも心地よく今日一日を過ごすことのできた健全な多くの人のために、わたしは此の初夏の一日を祝福し、賛美したいと思ふ。何故だか知らぬが、五月十八日といふ日付がこの上なく快適で幸福なものとして、わたしには特別な日にちに思へてならないのである。