パリ断章

[連休に過ごしたパリで感じたこと・思ったこと]
シャトー・ドーのあたりに今回初めて行つたのだが、黒人街のやうな一角があって美容院やネールサロンが並んでゐる。金曜の夜だったせゐもあるのかも知れないが、週末に向けてお洒落をするのかどの店も盛況で活気に満ちてゐる。こんなことを言ふと怒られるかも知れないが、アメリカの所謂アフリカン・アメリカンは音で云ふとシヤープだが、フランスにゐるフランス語を話す黒人はフラツトで、どこかしなやかで優しい感じがする。

アスペルジユ、すなはちアスパラガスが旬のため、レストランのメニユーにやたらと出てくる。肉料理のつけあはせにも出てきて、日本でいへば春先の筍のやうな扱ひなのだなと思つた。ちなみにわたしは白いアスパラガスの方が好きである。

パリの青空に何本も飛行機雲が線を描いてゐる。あれは何なのだらう。飛行機がかならず何かを噴霧して航跡に雲を残して飛ぶのである。自己顕示欲といふ訳でもあるまいが、まあ、パリの空らしくてそれも良いのだが。




世界的な現象なのかも知れないが、パリでも街の本屋が減つてゐる。気づいただけでも昔通つてゐた本屋が二三軒、洋服屋や食料品店に変つてゐた。古本屋も減つた気がする。一方で、驚いたことにスターバツクスの店舗がパリに出現してゐた。旨いカフェを出す素敵なカフエが数へきれぬ程あるといふのに、わざわざまずいコーヒーを誰が飲みに行くのだらう。
道を渡る際に車の通り過ぎるのを待つたり、或いは車の来る前に渡つたりするわけだが、その間合ひが、何故かわたしにはパリの方がしつくり来る。どちらが先になるタイミングかの判断が共有されてゐるといふことなのかも知れない。立ち止まつたのに車も止まつてしまふとか、行かうとしたら車が加速してきたりといふことがない。狭い道をすれ違ふ際の人の避け方にしてもさうだが、ごく自然にできてストレスを感じないのだ。日本だと、とろいかアグレツシブかどちらかの人が多くて間合ひが合はずに苛立つことも多いのに、不思議とパリではそれがない。わたしは日本人とつきあふのが苦手なのかも知れない。
パリでは街を歩いてゐると当然いろいろな香水の匂いに出会ふ。ところが、日本ではやたらと嗅がされるCHLOEの香りに一度も出くはすことはなかつた。何だかうれしかつた。
美味しい食べ物を出すレストランは必ず混んでゐる。しかし、混んでゐるからと言つて美味しいものを出すとは限らない。

リユクサンブール公園に椰子の木があつた。ちよつと場違ひな感じだが、よく見ると巨大な鉢植ゑのやうな、木の箱に収められた椰子であつた。何だか「去勢」といふ言葉を思ひ出した。





一日、具合が悪くなつて昼間ずつとホテルで寝てゐた。パリ六区でバカンスといふ気持ちで、眠るでもなくゆつたりと横になつてゐると、不思議なくらゐ時間がゆつくりと流れる。一時間がふだんの三倍くらいに感じられる。夕方少し楽になつたので散歩に出て、カフエで本を読んだ。ボルヘスの『続審問』を読んだのだが、これもまた気味が悪いくらゐ集中することができた。中味もすらすらと頭に入る。何故なのだらう。
靴を買はうと思つてゐたのだが、サンジェルマン大通りのBerlutiといふ店で最初にとても素敵なのを見つけて、それが1500ユーロ(約18万円)だつたために諦めた。さうしたら其の後に見る靴が全部安物に見えてしまひ、結局買はずに終つてしまつた。