半世紀

本日五十回目の誕生日を迎へる。信じられないことだが半世紀前にわたしが生まれたらしいのである。まあ、生きてゐる限り人間は歳をとるのであるから、年齢そのものに対する特別な感懐はないが、半世紀といふ年月を生きた実感がないのもまた事実である。
本日嶺庵に来客あり、一日楽しく遊び暮らす。昼過ぎまでは暑かつたが午後は風が通るやうになり、三時過ぎには日も翳つて凌ぎやすくなつて、茶菓や尺八、香や会話を愉しんで夜に至つた。
昨年の此の日は別の女性と過ごし、其の後わかれて別の道を歩き始め、さらに後に震災が起つたことを思へば、此の一年もまた五十年の相似形のやうにめまぐるしい日々であつた。
幾つになつても人生は思ひがけないことの連続である。円熟といふ言葉にはほど遠いが、少しは丸くなつて人との出会ひやつきあひの大切さを身に染みて思ふやうになつた。時にしんみりすることはあつても今を大切に明るく楽しく過ごしてゆきたいものである。