飲み終はらなかつた薬

七月二十九日(金)陰後雨
足裏のまめが潰れて痛いので絆創膏を貼らうと帰宅後に薬箱を取り出した。随分久しぶりのことで、見るとみどりさんや亜姫乃に処方された薬や使用期限の切れたビタミン剤などがたくさん残つてゐる。最早用のないものだから処分することにした。薬局の紙袋と、薬そのもの、或いは瓶やプラステイツクの容器と内容物をごみとして分ける訳である。殆どがアメリカ時代のもので、中にはわたし向けの精神安定剤も入つてゐたり、或いはみどりさんの旧姓で処方された薬がそのまま残つてゐたりする。日本に帰つてからのものは、その時みどりさんや亜姫乃がどんな病気で苦しんでゐたかの記憶さへない。もつともつと大切にしなくてはならなかつた人たちなのに。わたしは自分の至らなさに改めて胸が痛む。飲み終はらずに残つたといふことは、途中で健康が恢復したことを意味するだらう。それだけがわたしの心をほんの少し明るくし、残された薬をまとめて捨てやうとするわたしの行為は、別れた妻と娘との戻らない日々への惜別の思ひを深くする。ふたりがいつまでも健康で幸せに暮らしてくれることだけを祈る。わたしはこの先みどりさんが居たことの痕跡を少しずつこの家から消してゆくことになる。嗚咽を禁じ得ないが、すべては自分の行ひの結果である。みどりさんに倣つて、前を向いて生きてゆくより他はないのである。本当に、これでよいのであらうか。