ショパンと空海

七月三十日(土)雨後晴後夜になりて雷雨
午後家を出で上野の東京文化会館にイングリット・フジコ・ヘミングのピアノ・リサイタルを聴きに往く。昔フジコの軌跡を追つた番組をテレビで見て興味を持ち、CDも持つている。春先にチケットぴあの抽選で当たつてS席を購入したのである。
文化会館に来たのも久しぶりである。大ホールは満席。期待も膨らむ。二時開演。フジコのさりげなくすっと始まる曲の入り方は好きである。最初ちよつともたついた感はあったが、すぐにフジコの世界に引き込む。演目は下記の通り。

  1. ショパン 24の練習曲 作品28より
  2. ショパン 「別れの曲」
  3. ショパン 「木枯らし」
  4. バッハ 6つのパルティー
  5. バッハ カンタータ「主よ、人の望みの喜びよ」
  6. ムソルグスキー展覧会の絵
  7. リスト 「ため息」
  8. リスト 「ラ・カンパネラ」

さらにアンコール代はりにドビュッシーショパンを一曲づつ。ショパンに始まつてショパンに終はつた訳である。
別れの曲はわたしにとつて特別な曲だ。十年前、亜姫乃が日本から船便で送つた荷物がニュージャージーの自宅に届いたが、その中におもちやのやうな古いキーボードがあつた。有名な曲が何曲も組み込まれてゐて、選んで設定をすると、弾くべき鍵盤に光がついて、それを追へば一応曲が弾けたやうな満足感が得られるといふ代物である。ピアニストに憧れながらもピアノが弾けないどころか楽譜も読めないわたしが飛びついたのは言ふまでもない。プログラムされてゐる曲の中では別れの曲が一番好きだつたのでこれを選んだ。
ところがである。せつかくピアニスト気分で気持よく弾けると思つたのに、これがまつたく上手く行かないのである。亜姫乃やみどりさんはすぐに習得して弾けるやうになつたのに、気持余りて技術足らずではないが、間違へてばかりなのである。
かうなるとわたしは本気になる。ただただ練習を繰り返すのである。何度も同じところを間違へながら延々と繰り返す。何時間も何百回も、馬鹿じやないかと思ふほど同じ曲を繰り返し練習するのである。みどりさんは早々に呆れてどこかに行つてしまつたが、亜姫乃は呆れ顔をしながらも律義に付き合つてくれ、アドバイスをしてくれたりする。わたしは一生懸命になると手の動きに合せて同時に口が動いてしまふのだが、わたしのその様子と呆れながらそばで見てゐる亜姫乃の取り合はせが面白いと言つてみどりさんは写真を撮つたくらゐである。
さうまでして何とかものにした別れの曲だが、その後みどりさんが家を出て行くことになり、別れの曲を夢中で練習してゐた運命の皮肉に愕然とすることになる。それ以来わたしにとつてこの曲は特別な曲になつた。
すでに何人かのピアニストによるこの曲のCDも持つてゐるが、どれも一長一短があつて、わたしの琴線に触れる演奏にはまだ出会つてゐない。今回のフジコの演奏も、嫌ひではないが少し違ふ。とは言つても聴きながら涙が出さうになつたのも事実である。
さて、その他の演奏ではバツハが思ひの他よかつた。ピアノなのか音響なのか、前から八列目の席なのに音は小さめで、シヨパンはもつと謳つてほしい感じがしたが、パルテイータでは湿度の高い七月の日本にあつてほど良い湿り気と乾きのある音質で、音のひとつひとつに後光が差してゐるやうに思へた。
とは言へやはり圧巻はリストで、ラ・カンパネラは音が真珠か宝石のやうに煌めき鳥肌がたつた。公演後に此の曲の入つたCDをロビーで購入して家に帰つて早速聞いてみたが、当たり前かも知れないが、生の方が比べものにならないほど素晴らしかつた。ピアノの演奏を評論出来るほど音楽通でないのはもちろんだが、普通の音楽好きとして十分堪能できた演奏会であつたと思ふ。
四時過ぎ文化会館を出て、今度は東京国立博物館に向ひ「空海密教美術展」を見る。相変はらず東博ならではの国宝、重文だらけの凄い展覧会である。特に空海自筆の「聾瞽指帰」や伝空海筆の断簡には参りましたの一言。同じく今回出展された「灌頂歴名」とともに、図版や書の手本として目にすることも多い風信帖に比べて珍しいこともあるが、ため息の出る筆跡である。
それとやはり国宝の宝相華迦看陵頻伽蒔絵冊子箱の外装の文様の美しさに目を見張る。書と文様や金工細工に見るべきものが多く、人気の東寺の仏像群は、確かにあれほど間近に裏まで見られることは稀なのだらうが、今のわたしはそれ程興味を引かれるものではなかつた。
比較的空いてゐる館内を六時の閉館間際まで見歩いてから、「聾瞽指帰」の出だしの部分と「宝相華迦看陵頻伽蒔絵冊子箱」の絵葉書を買つて退館。実にいいものを見た贅沢な時間であつた。