無題

八月三日(水)晴夜に通り雨
仕事の忙しさが一段落つく。立ち止まると余計な思念が渦巻き、突然何もかもが嫌になる。おめおめと生き続けてゐることが恥ずかしく、居たたまれぬ思ひに駆られる。完全に道を踏み外した思ひに打ちひしがれる。全身に力が入らず、無為に時間が音をたてて過ぎてゆくのを聞いてゐる。
二千二年の二月二十一日に戻つて、その先に起ることを注意深く避けてそれまで通りの生活を続けてゐられたら、どんなに幸せかと思ふ。巻き戻せぬ時間、無かつたことにはできない出来事…。悔恨の苦しみの止むことはない。ただ、今のわたし以上に苦しんだ人がゐた事を忘れてはならないと思ふ。その人の現在の幸せを祈念しつつ、自分が安穏に暮らすことに抵抗を覚える。自分がもつと苦難に出遭へばいいのにと思ひながら、内心は人並みの生活を望んでゐることに絶望する。口先だけの男、自分の発言の記憶喪失者、喉元を過ぎれば熱さを簡単に忘れる痴れ者。言葉が貨幣であつたなら、わたしは間違ひなく禁治産者であらう。嘘つき、口からでまかせ、利いた風なことを言ふインチキ野郎。
今日電車の中で老婆がふたり会話をしてゐて、中に「ひとり息子」といふ言葉が出て来た。わたしはそれを、香料業界の人間なら誰でも知つてゐる或る別の言葉によく似てゐると思つた。さてそれは何でせう。
未来が怖いのである。自分に責任がのしかかることに耐へられぬのである。そして、誤つた人生の最早修復のきかなくなることが恐ろしいのである。
答へは「ニトロムスク」である。ニトロ、はニトリに似てゐる。ニトリはみどりさんに似てゐる。