判断中止

五月二十一日(月)早朝雨後陰
金環日蝕の観測される朝だといふ。余は興味なく、空を見上げる事もなし。宇宙のことになると、余は判断停止、思考停止の状態になる。何もかもが理解できなくなるからである。地球上であれば、自然現象も生命も、時間も空間も、神も仏も、理解は出来ないまでもある程度思考の対象とすることはできる。命とか死とか、自分とは何か、どうして自分が生きてゐるのかといふことも、決して理解に達することはないと分かつてゐても、尚其れについて考へさせられる事は多いし、むしろ好んでさうして來たやうに思ふ。ところが宇宙となると、すべての根本に対する全くの理解不能といふ事態に立ち到り、恐怖しか感じられないので思考を止めるのである。余は宇宙物理学者といふのは此の世で最も勇敢な人か、さもなくば感覚の麻痺した痴れ者としか思へないのである。だから、星が降らうがロケツトが何処に行かうが余は無関心を装ふ。ただ、花鳥風月の世界の範疇で月を愛で、神話世界、即ち人間の脳内の出来事として太陽神や月の神を想定することくらゐしか、地球の外の事には関りたくないのである。