夢顔さんの正体

五月二十二日(火)陰後雨
昨夜『夢顔さんによろしく』(西木正明著・文春文庫)読了。瞑目して暫し想ふところ少なからず。世間的には近衞文隆の名は余り知られてはゐないだらう。余にしても文麿の長男で早世したことくらゐしか知らずにゐた。ただ、文隆の妹の嫁ぎ先とは言へ、細川護貞の次男が近衞家を継いでゐることが前々から気になつてはゐた。何か事情があつたと思はれたからである。其れが、『護貞座談』を読んで細川護貞と文隆が学習院時代からの親友で、文麿が総理大臣の時に二人とも其の秘書官を務めてゐた事を知つた。さらに、文隆が抑留されてゐたシベリアから妻の正子に宛てた手紙の末尾に必ず「夢顔さんによろしく」と添へられてゐたといふ記述から、以前古本屋で買ひ求めてあつた此の本の事を思ひ出して読んでみる気になつたのである。そして、近衛文隆といふ人の一生を知るに及んで、余は相当の衝撃を受けるに至つた。
身長六尺の偉丈夫でありゴルフの腕前はプロ並み、プリンストン大学に留学して大金持ちの若き未亡人とのロマンスを繰りひろげるといふ此の貴公子の魅力と、後半生と最期の悲惨さに言葉を失ふのである。何と言つても近衞家である。皇室と宮家を除けば日本一高貴な家柄、五摂家筆頭、藤原氏の長者の家の嫡男であり、父は総理大臣。普通の学生の十倍以上の小遣ひを貰つての留学で類稀なる経験を続ける其の前半生は、まるでフイツツジエラルドの小説にでも登場しさうな人物像である。体格にも運動神経にも恵まれ、しかもいたずらつ子の面影を残す屈託のない笑顔は確かに人を魅了するものがあり、格好いいこと此の上ない。白洲次郎がダンデイズムのお手本のやうに言はれて人気もあるが、軍隊経験での適度なバンカラさを含めると、総合的にみて文隆の方が遙かに格好いいと思ふ。もつとも、其の白洲のことを文隆は兄貴分として慕つてゐたやうではあるが。
そんな男がシベリアに抑留され、捕虜としてではなく罪状をでつちあげられた罪人として扱はれた挙句に、帰国直前にソ連によつて実質殺されたのである。様々な要因と偶然が重なるとは言へ、文隆がそんな過酷な運命に遭はねばならなかつたのも、要するに彼が近衞の姓を持つ者であつたからに他ならない。藤原氏系図作りを趣味とする余にとりても痛恨の極みであり、文隆哀悼の思ひで胸が塞がれる。
ところで夢顔さんの正体であるが、西木の本では正体が明かされるのだが、護貞座談では知つてか知らずか別の事が書いてある。シベリア抑留中に或る人に向かつて「夢に見た顔だ」と文隆が言ひ、其の言はれた「夢顔さん」が戦後になつて二人出て来て俺が本物だと争つたといふのである。何とも奇妙な話だが、詳しいことは通信に書くつもりである。