足の話

八月十七日(金)晴
自分の體の中で最も自信のある部位は、余の場合足である。此の場合の自信とは見た目の良さや健全さ具合を言ふ。他に自慢できる程の身體的な美質を持たないが、足だけはさう悪くないのではないかと思つてゐる。何より足裏の皮膚が柔らかく血色もいいのか健康的な色艶をしてゐる。角質化した処や固くなつた処がなく、白くなつたり剝けた皮膚もタコやイボもない。外反母趾もなければ勿論水虫もない。足の甲にも皺ひとつない。全く日常の生活感や労働の労苦、或いは人生の陰翳を感じさせない、五十過の親爺の足とは思へない健やかさである。とてもお遍路を歩いたとは思へぬ、余程深窓で過保護に育てられたかのやうな、「うぶ」とでも呼べさうな肌合ひなのである。何故かうなつたかは自分でも分からない。足形に合はない靴を履かなかつたといふことはあらうが、他に別に手入れとてして來はしなかつた。ただ、最近になつてN子に、所謂足裏マツサージなるものをしてもらつてはゐる。是は、男性は余りして貰った事のある人は少いと思ふが、女性は結構経験者が多く、N子は自分で散々やつて貰つてゐるからコツを掴んでゐて意外と上手い。昔職場の先輩に当るK氏が奥方に毎晩足裏マツサージをして貰ふのだと言ふのを聞いて、妙なことをするものだと思つた記憶があるが、実際に自分がされてみると此れがまた実に心身に染み渡るやうに効くマツサージで、足裏のツボが刺激されることで體全体の調子が整へられるのである。何より押される心地良さが足裏といふ身體の末端からもうひとつの端である脳へと神経を伝はり、辿り着いた電氣信号は脳内で快楽物質にでも変はるのか、殆ど忘我の境地に入つて暫し意識が宇宙の涯てに飛んで行く事も稀ではない。かくしてますます足裏の皮膚は柔軟さを増すし、マツサージの際に使ふ椿油の保湿効果と相まつてさらにつやつやと健やかな風情となるのである。ただし、其の形態姿形を純粋に美学的視覚的に促へた場合、余の足は決して「美しい」ものではない。足指は太く、特に親指の太さと爪の大きさは自分でも驚く程であるし、だん広で甲も高い。要するに洋靴よりも雪駄や下駄がよく似合ふ、極めて日本人的な足である。それもあつて最近は外出の際なるたけ着物にして草履や下駄の類で出掛けるやうにしてゐる。さうしてゐると、きつい靴を履かなくてすむので足の健全さは余計保たれやすくなるといふ訳だ。かうした余計なお喋りを蛇足といふのかも知れないが。