茶道香道キツチン道

八月十八日(土)陰後晴
着物にて出掛ける積りなるも雨の予報なれば止み、西洋式の服装にて外出。N子の実家にて茶の湯の稽古。昼食の後田園都市線大井町線東横線と地下鉄を乗り継いで広尾に至る。既に日照り強く竟に雨には逢はず。溽暑堪へ難し。明治屋にてN子の知人O氏と待合せ徒歩西麻布パロマビルにある黒川雅之氏のKラボに赴く。黒川氏はかの黒川紀章の弟にてデザイナー也。日本文化デザインフオーラムの活動の一環として黒川氏の主宰する「モノラボ」なる催しがあり、N子の知人O氏の紹介にて参加する機会を得たるもの也。本日のゲストは香道志野流若宗匠蜂谷宗苾師にて演題は「香りの精神文化」。余は若宗匠とは初見也。三時過ぎより始まり香道についての説明の後休憩を挿んで実際に香木を焚いての聞香の時間に移る。此れを目当てに参加した訳である。眞南蛮、寸聞多羅に続いて伽羅は何と六十一種香のひとつで名香「美吉野」であつた。此れは「三吉野」とも書き、徳川家康所持の香木で、家康から志野家が拝領したものである。所有されてからでも既に五百年近い年月を経てゐることになる。五十人近い聴衆の中を聞香炉を回るのだが、余等は前の方に座つてゐた為割に早く嗅ぐ事が出來た。既に若宗匠が銀葉に載せた刹那から得も言はれぬ芳香が漂ひ始めてはゐたが、掌に香炉を持つて聞くと余りの香りの良さに全身の細胞が逆毛立つやうな感触を覚える。端正であると同時に洒脱であり、均整がとれてゐるのに広がりがあり、幽玄さと懐かしさのやうなものを感じさせる。しかも記憶にしつかりと殘るシグニチユアがある。流石に名香とされるだけの事はある素晴らしい香木であつた。其の場の聴講者の中で聞香の経験者はN子と余のみであつたが、他の参加者は初めて香を聞く体験でこれ程の名香に出会へる僥倖を何処まで理解出來てゐたであらうか。とにかく心満たされるひと時であつた。其の後懇親会となり、余は宗苾師に自ら名乗つて暫し言葉を交す。まだ若い次期家元はとにかく意欲的であり、嗅覚と香りに携はる者として今後何らかの連携が出來れば幸ひであらう。七時頃辞し、其れから歩いてすぐのポーゲンポールのシヨールームに立ち寄る。N子の知り合ひの同社日本法人代表のK氏と面談。ポーゲンポールはドイツの有名なシステム・キツチンのメーカー也。氏よりドイツにおけるキツチン産業やキツチン観と、日本人のキツチンといふものに對する意識との違ひなどについて話を聞く。近くに來た為に立ち寄りたるに過ぎざれども、産業史や生活文化の比較文化論的な話題につき樂しく話す事を得る。八時辞して帰宅九時半。輕い夕食の後讀書。
香を聞く若宗匠