前夜祭

一月二十四日(金)
會社を一時間ほど早退し、豪徳寺本樓に赴く。松岡正剛先生の古希を祝ふ前夜祭也。きもので行く事も考へたものの會社歸りでもあり諦めたのだが、それにしてもうつかり普段着に近い恰好でしかも汚れた靴を履いてゐたこともあり、男女ともに和装の多い會場に入るや否や後悔と氣後れを感じ始める。場内人で溢れ、未詳の會員やスタツフに知る者はあれど、見知らぬ方ばかりでしかも皆相當な有名人ばかりであらうから、もの怖じすらし始める。辛うじて羽織袴姿の松岡先生に挨拶に行くも氣の効いた言葉のひとつも言へず。
七時に始まり、福原義春氏の挨拶いとうせいこう氏の乾杯の後暫く歓談。場内には田中泯さん井上鑑さん岡野弘彦さん本條秀太郎さん田中優子さん高山宏さん大澤真幸さんらの姿が見える。中田英寿さんも、それから美輪明宏さんも後から來られた。やがて松岡さんの人生を振り返るビデオが流され田中優子始め様々な人が壇上にてひとくさり松岡さんとやりとりをするといふことが續いた。中でもやはり美輪さんの話は引き込まれる魅力に溢れてをり、是を聞けただけでも來た甲斐はあつた。三島始めとてつもない人たちと付き合つて來たはずの美輪さんがあれだけ言ふのであるから、松岡さんの凄さは本物である。また中田氏はスタイル良くスーツを着こなした姿も素敵で、本當に恰好良かつた。ハンサムなだけでなく、エバレツト・ブラウンさんと英語で會話する姿や立ち振る舞ひも水際立つ格好良さである。
余は迂闊にも名刺もカメラも持たずにゐたので、特に誰かと知己を得るでもなく、有名人とのツーシヨツトを撮つて貰ふでもなく、ただ小さくなつて有名な方々の話を聞き、姿を彼方より見遣るのみであつた。何事かを成し遂げ、今も熱く活動しつつある本物の人たちの前では、余など全く取るに足らぬ者であるのは自分が一番分かつてゐる。知己を得たとしても、一體何を話せばいいのだ。自分の中にしかるべき話題も、憧れの人々と話したいといふ情熱も、ましてや會話の妙を演出する才気もないことに愕然とする。惨めといふ氣持ちはないが、いつか此処にゐて色々な話が自然と出來るやう、自分なりの仕事を何か為し遂げたいといふ氣持ちにはなつた。
實をいふと本樓に行く前少し時間があつたので豪徳寺驛からの途中にあるブツクオフに入つた。予想通り何も買ふ本はなかつた。といふより、余りにも下らない讀む氣になれないやうな駄本が延々と並ぶ書棚に、或る種の吐き気と絶望に近い悲哀を感じたのである。其の後だけに、本樓や今囘初めて上がつた二階や三階に鎮座する松岡セレクトの蔵書六万冊の充實は、改めて目眩がするやうな眩さであつた。自分はこれらの何十分、いや何千分の一しか讀めてゐないのだらうと思ふと、松岡先生始め高山先生、大澤先生らの著作にちよつと親しんだくらいの自分に、何も口に出來る話題などないやうな氣になるものである。場内に幾つか置かれた松岡さんへのメツセージ帳に余は「感無量」と書いた。本當にそれ以外の言葉が思ひつかなかつたのである。
宴はまだまだ續きさうであつたが、遠方でもあり顔見知りのスタツフにのみ別れを告げて十時過ぎ本樓を後にし、十二時前歸宅。美輪さんの話や白石加代子さんの百物語の朗讀を樂しむことは出來たが、それ以上に今の自分の何でも無さを痛感させられ、刺激となつた一夜であつた。美意識を研ぎ澄ますこと、恐らくそれが究極である。