大馬鹿者と大賢者

一月八日(火)晴
昔から警察官は大嫌いだが、馬鹿で融通がきかない連中ばかりで腹立たしいことこの上ない。特に栄警察の交通課というのは、本当に馬鹿ばかりである。毎朝駅前の交差点に立って信号の変り際に笛を吹いたりしている。それはいい。角に駐輪場があるので自転車の人が交差点を渡ると、いちいち歩道は降りて歩けとしつこく警告する。「降りて押してください」と言葉遣いこそ丁寧だが、口調は威圧的である。交差点から駐輪場まで四・五メートルだろうか。そもそもそんなにスピードを出しているわけでもなく、歩道は広いから歩行者にとって危険でも何でもない。ここで自転車と歩行者がぶつかって事故が起こったわけでもあるまいに、四角四面に取り締まろうとするから、自転車に乗ったまま通る人たちよりも、そうした威圧的な態度を見聞きする方が私にとっては余程苦痛である。毎日忌々しい思いで駅に向かう訳である。
しかも、今朝こんなことがあった。私が駅に向かう際丁度救急車が通りかかった。歩行者は緊急車両であるにも関わらず、こっちは青信号だとばかりに救急車の進行を妨げて渡って行く。それをいつも口うるさい警官が制止も注意もしないのである。見て見ぬふりとはこのことだ。いや、救急車は消防署の管轄ということでそもそも何も感じていないのかも知れない。実に馬鹿げきった話ではないか。渡る連中もどうかと思うが、救急車両の優先通行を助けるのは彼ら警官の朝の任務に入っていないからしないのであろうか。文句を言ってやろうかとも思ったが、余計に馬鹿馬鹿しい気持ちになるのが落ちなのでやめた。
交通の取締りというのは、そもそも何のためにやるのか、実効性があるのかが明確になっていないままなされているのが殆どではないかと思う。もちろん、飲酒運転や無謀運転の取締りは事故防止に役立ってはいるだろうが、現場に立つ警官は「何故この取締りが必要なのか、効果があるのか」などという疑問は持たないように教育されているのであろう。駅のすぐそばには、そうした警官を育成する警察学校まであり、そこの連中もよく見かけるが、連中の様子を見る限りさもありなんという思いである。賄賂が横行していないだけまだましとするしかないのだろう。

さて、馬鹿は放っておいて賢者に移ろう。平岡正明著『江戸前』読了。書名に反して、大岡川を船で上りながら横浜の歴史と長谷川伸について語る章を一番面白く読んだ。さすがに横浜に住んで結構長いから、私にもあの辺の土地勘もあり、なるほどと大いに膝を打つことが多かった。雑誌等に書いた何本かの原稿を骨として、書き下しで肉づけして一冊の本にしていく平岡兄イのやり方は悪くない。多少の重複があった方が、読む方としてはわかりやすいということもあるのだ。