火事場の馬鹿ども

四月十五日(月)晴後陰
火事は出した方が悪いに決まっている。ただ、火事を消すのが商売の人たちのその場での実際の働きぶりというものは、もし余り悧巧なものでない時にはそれなりに批判の対象にはなるのではないか。先日職場で火事があった。同じ事業所内の三階建の工場から火が出た。私の勤務する研究棟はその建屋から5-60メートル離れた処にあり、その間に建物はなくしかも七階なので屋上を含めて火事の様子が手に取るように見える。仕事は中止して待機するように指令が出たから、窓辺に寄って心配げに様子を見守るより他はないのだが、一部始終を見ていて驚くことも多かった。何より消防車の到着が遅い。500メートルと離れていないところに消防の本署があるのに、着いたのは通報から15分程後で、しかも現場に離れて止まって中々消火活動が始まらない。もちろん、人家と違い何が燃えているのか等の確認や、火の位置や可燃物・危険物の配置の確認は必要だろうが、やっと梯子が伸びて消火が始まったのは出火から30分以上が経過していた。しかも、消防車の停車した位置が悪くて一番燃え盛り煙を吹きだす辺りから遠いため、消化液が届かずまるで見当違いの処に放水している。下から見ているからわからないのである。福島原発の事故の際にも、放水が全く的外れであった映像を見たことがあるが、それを思い出さずにはいられなかった。危機管理上の、情報と指揮の一元化や責任者の適切な配置と役割分担といったことが、この国では昔も今も、きちんと出来た例はなかったのではないかという絶望的な気持ちになる。工場内は消防と警察、現場の消防隊などが入り乱れているが、上から見ている限り右往左往しているようにしか見えないのである。消防車の並ぶ側とは別の裏の窓から火の手が出始めても、そちらに人がいないから気づかず、気づいても緩慢に動いて報告に飛び出すでもないようだ。二階三階の窓から黒煙が出た後屋上の天窓を破って炎と黒煙が間歇的に激しくなるのだが、七階からはその様子が見て取れるのに、下にいる人たちには状況がよくわからないらしい。しばらくして、消防の人たちも七階に来て状況を確認しながらメガホンや無線で連絡をしているが、どうも全体の指揮を取れる責任者クラスではないらしく、適切な指示を出しているようにも見えない。何と言うか、危機感もないし何が適切な行動なのか誰も判断をせず従って指示も出ていないような印象を受ける。七階から見守る若手消防士の一人は携帯に掛ってきた友達らしい人からの電話に出て、タメ口のようなカジュアルな調子で現況を伝えたりしている。これには呆れた。
今回、火事場での人の動きを、自らパニックになることもなく、多少なりとも客観的に観察出来たことで、何か災害が起こった際にそれを防ぐことを任務としている組織や人は、決して映画やドラマで見るようには、効率的に迅速に動けるものではないということがよく分かった。もちろん、自分は何もなすすべもなく見守るだけだったのだから、非難をする立場にはなく、消防士というものに、もう少しプロフェッショナルな行動を期待していた自分の思い込みを悔いるしかないのだが、歯がゆい思いで見つめていたのは事実である。
これで会社は傾くだろうが、災害時に他者に多大な期待をかけることの愚かしさと日本の組織や日本の職業人の士気の劣化を再認識させられたわけで、今回のことは私に人生の大きな教訓を与えてくれたように思う。この火事がもとでボーナスが飛び、会社が倒産することになっても誰も助けてはくれない。自分のことは自分で守るしかないのだ。火事場泥棒にはなりたくはないが、火事場の馬鹿力ならぬ馬鹿どもを当てにしていても無駄なだけである。